コラム・撮影プロローグ
震災小片雑記・拾(110430)
text & photos by 青池憲司
2011.4.30 up
この凶景の向うには仙台湾の海がのどかにひろがっていた。
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仙台の知人の招きで数か所の被災地を歩いてきた。車で走りながら見て、見ながらつぶやき、歩きながら見て、見ながら独語し、立ち止まって見て、見ながら対話し、また車で走りながら見て、見ながらついに黙し、その繰り返しを繰り返した。
小片21
16日。東京→仙台。新幹線で福島へ、福島からリレー快速に乗り継ぎ仙台へ。待ち合わせ時間をふくめて約3時間半。知人のSSさんとSKさんに会う。まずはおふたりとご家族の無事をよろこぶが、両氏のまわりには地震と津波の犠牲になった人びとが大勢おられるので、ことばはヤヤうつむきかげんになる。夜は、ISさん、首都圏からボランティアで被災地に入っているMKさんもいっしょになって軽く飲む。彼女は教員志望だが、ことし1年間は仙台に常駐して(ときどき帰京するが)ボランティアをするという。いまは、プロテスタントの東仙台教会をベースにしたボランティア・グループの一員として活動している。ここ数日は、東松島市の海岸に位置する野蒜地区に出掛けているという。大津波に襲われた集落だ。ひとしきり、彼女の話を聞く。家の周りの瓦礫かたづけ。海水をふくんだ土の重たさ。蔦や木の枝、服、本、食器、靴、アルバム、瓦、ガラスなどなど・・・さまざまな物が絡み合っている。それを分別していく。時間がかかる。独特のにおいが鼻をつく。海水の腐ったような匂いなのか何なのか。瓦礫撤去は怖い。何が出てくるのかわからないからだ。ある民家の中には遺体が5体、表に1体あったという。大きな材木を動かすたびに緊張する、と。そんな環境でボランティアをするMKさんの心身を気遣ってしまう。
仙台の宿は、SSさんが紹介してくれたユースホステル道中庵。古民家を改造したつくりに安らぐ。木の風呂にゆっくりつかって早寝。
小片22
17日。仙台→(仙台もふくめた)被災各地。早朝5時まえに起床。宿の環境は申し分ないのだが目覚めてしまう。ゆうべ早寝したこともあるが、やはり被災地にいるという緊張があるようだ。MKさんから聞いた被災地的日常と東京から引きずってきた非被災地的日常が衝突をはじめている。きょうは、SSさんの車で石巻方面へでかける。朝は被災地へ向う自衛隊車輌やボランティア車、物資搬送トラックなどで相当な渋滞が予想されるので早出することにしていた。06時20分、宿を出発。SSさんの運転で走りだす。市営地下鉄長町駅周辺の再開発地区10ヘクタールの更地に仮設住宅が建設中である。プレハブ住宅119戸(1DK24戸、2DK71戸、3K24戸)と、第2次着工分の114戸が予定されている。三陸自動車道に乗り、東松島市目指す。同じ方向に向う自衛隊車輌多数が我車を追い越して行く。そろそろ渋滞がはじまりかけたところで鳴瀬奥松島インターチェンジに到り、一般道へ降りる。45号線をSSさんの状況説明をうけながら行く。左手に鳴瀬川を見て海岸へ向う。途中で45号線を捨て市道をさらに進む。この辺り、襲ってきた大津波が何もかもを奪っていき、薙ぎ倒していき、引ききらない水が池のように滞留している。住居も大きな建造物ももっていかれてしまっている。
同じ地区にある鳴瀬第二中学校。
津波に襲われた時間で止った時計。地震発生から1時間後である。
(つづく)
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◉初出誌
「阪神大震災ドキュメンタリーヴィデオコレクション─野田北部を記録する会WEBサイト」サイト内
「連載コラム『眼の記憶11』第14回」2011年5月1日掲載を再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。