製作にあたって / 監督 青池憲司
製作にあたって——
再生の道を歩むみなさんに同行したい
text & photos by 青池憲司
2011.6.18 up
- 石巻市立相川小学校にて (宮城県石巻市 2011年4月17日) Photo:青池憲司
宮城で記録映像をつくりませんか? と知人
3月11日、 大災害に襲われた東日本各地とは較べものにならなかったとはいえ、わたしが住む東京湾岸でも大きな揺れがありました。それからの日々、報道で被災地の様相を知るにつけ、非被災者のわたしに何ができるかを考えつづけていました。そんなときに仙台の知人から、「宮城で記録映像をつくりませんか」というEメールがとどきました。
「映画表現者のわたしにできることは何でもします」と応えて訪仙し、知人たちの集りに出席しました。今回の企画にわたしが参加する始まりです。
次の日、知人の案内で、広大な被災地の数か所をまわりました。ちいさな見聞が印象に残りました。それは、石巻市北上町相川小学校近くでのことです。ひとりの男性が、いまはあとかたもない、自分の家屋敷の建っていた土地でスコップを振るっていました。知人が話しかけると、男性(漁師さんです)は、「家のまわりに地蔵さまが流されて横たわっていたので、元の場所にもどしておいた」と彼方を指差しました。そこにはお地蔵さまが端然と座していらして、その顔が向いているのは津波にやられた小学校でした。まだ散乱状態の校庭に数人のこどもがいて、何してるのと訊くと、「べつに。なんか、ときどき、学校にきたくなる」といった意味のことばをボソリと呟きました。——いま、被災地のどこでも見られる光景でしょうが、映画のイメージづくりの一つとなる出会いでした。
- 石巻市立相川小学校にて (宮城県石巻市 2011年4月17日) Photo:青池憲司
再生の道を歩むみなさんに同行したい
わたしがこのドキュメンタリー映画製作の協働者としてできることは、被災したみなさんが非常な努力で切り開いていく再生の日々に同行させていただくことです。そして、こどもたちがこの困難のなかでどのように成長していくか? こどもたちの前に立ち現われる障害にたいする教師のみなさんの模索と実践、保護者をはじめ地域の人たちの生活再建の道のり、などをキャメラとマイクで丹念に記録することです。そうすることで、3月11日を記憶し、その日以後の再生のプロセスを多くの人たちに共有してもらうことです。
「こども・学校・地域」が困難に立ち向かい、それを乗り越えていく日々の活動には、わたしたちの社会を新しくする芽がいっぱい潜んでいると思います。その芽を育むのは被災地を支援する運動の大きな一つだと考えます。そのためにも再生のプロセスの共有が望まれます。と、まあ、ここまで書いてきてあらためて思うのは、これはなかなかにむつかしい作業であるということです。しかし、手を拱いているわけにはいきません。映画製作委員会のみなさんと知力を合わせて撮影を進めていきたいと思います。
企画趣旨 / 映画製作委員会
東日本大震災から立ち上がる人びとを記録するドキュメンタリー映画
『宮城からの報告—こども・学校・地域』(仮題)
text by 映画『宮城からの報告』製作委員会
2011.6 up
- 石巻市立相川小学校にて (宮城県石巻市 2011年4月17日) Photo:青池憲司
震災から3か月余りがすぎ、人びとは悲しみと絶望の淵から立ち上がり、さまざまな活動を始めています。日本中、いや世界中からの精神的応援、物的支援を受け、気の遠くなるような長い復興再生への道のりを歩み始めました。そこには、困難を克服していこうという力強い人間の意志があり、それを実現させようとする人間の連帯があります。
私たちは,まだまだ困難な状況にある人びとがどのようにそれを克服していくのか、その生活再建のプロセスそのものを長い時間をかけて丹念に記録したいと考えています。
こどもと教育を取り巻く状況を現場の視線で記録したいと考えています。
また、大惨事から立ち上がる人びとの姿を記録することは、日本国内はもとより世界中から熱い応援のメッセージと温かい支援を頂いたことに応えることになると考えます。
復興再生の道のりは一本道ではありません。いろいろな考えが交錯し。紆余曲折を経ながらも前進していくものだと思います。その人間のドラマをドキュメンタリー映画として記録にとどめたいと考え、映画製作を企画しました。