阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

阪神・淡路大震災人的被害(死者数)

早朝の"ろうそく慰霊法要" (長田区御蔵北公園 2004年1月17日午前6時頃)
震災から9年。小雨の中の寒い朝だった。
  • 死者数計
  • 直接死(兵庫県分のみ)
  • 関連死(兵庫県分のみ)
  • 行方不明
  • 負傷者数計
  • 重傷
  • 軽傷
  • 震災障害者
  • 倒壊家屋閉じこめ者数
  • もし日中に起きていたら?
  • 仮設住宅孤独死者数
  • 復興住宅孤独死者数
  • 県外被災者数
  • 震災孤児・震災遺児

    出典元

[1]『阪神・淡路大震災について(確定報)』総務省消防庁,2006年05月19日発表

[2]阪神・淡路大震災の死者にかかる調査について(2005年12月22日記者発表) - 兵庫県

[23]震災障害者及び震災遺児の実態調査について(2010年8月6日記者発表) - 兵庫県

[3]震度分布を既知情報とした人的被害の推定手法 -死傷から閉じこめ者分布へ-/小山真紀,太田裕,村上ひとみ - 東濃地震科学研究所:『東濃地震科学研究所報告 Seq. No.3』PDF

[16]地震発生が5時46分だったら…,讀賣新聞大阪本社,1995年1月21日朝刊

[4]兵庫県警察本部,1999年5月5日

[5]兵庫県内復興住宅 独居死33人,神戸新聞,2016年1月13日

[6]『阪神・淡路大震災復興誌 3. 1997年度版』震災復興誌編集委員会,(財)阪神・淡路大震災記念協会,1999年

[21]震災遺児家庭の震災体験と生活実態—平成7年度調査結果報告』あしなが育英会,1996年

用語解説

    死者数 - 直接死

この震災による死者とは、警察を含めた司法当局によって判断され、公式発表された者のこと。監察医もしくは臨床医が警察の要請により死体検案を行い、死因を外傷によるものか疾病なのかなど医学的に判断して死亡診断書(死体検案書)を発行した。その検案書に基づいて当局が「この震災による災害死」であるかどうかを判断した。

被災自治体はこの警察の公式発表を基に住民票等から遺族を調査し、「災害弔慰金の支給等に関する法律」[7]に基づく「災害弔慰金受給資格認定者」の通知を行った。このため「災害弔慰金受給資格認定者」のことを"災害死者"と定義付けることもできる。これらの認定者数(追加認定を含む)を被災市町が府県を通じて国(消防庁)へ報告し、それを集約したものが閣議了解を経て『防災白書』として公表される。これが国の公式な被災データとなっている[1]

しかし災害死者と認定はされたが、遺族が災害弔慰金の支払いを行政に拒まれた例もあった。神戸市は、市内で亡くなったオーバーステイや観光ビザの外国人3名に対して「住民ではない」として支払いを拒否した[13]

この「直接死」とは"最初に受給資格認定された者"の通称であり、その後に追加認定された「関連死」と相対させた形の呼称である。直接死の死因は、全てが調査され判明しているわけではない[8]。災害時の混乱と監察医の不足、医師の救命治療への優先などの事情が重なったために、詳細な検視や解剖を行えなかった例もあるという。また灰になるまでに焼かれた骨からは死因はもちろん性別や人数も量りかねなかった[9]。これを集計した国による人的被害の調査は、「5,488件分」の調査報告書がある[14]。全員分ではないが、それでも「大規模な震災において、今回のように死亡者に関するデ−タが系統的に検討された例は、我が国はもとより、国際的にも存在しない」という[10]

また警察の検視を経ず、役所に死亡届を提出する遺族も少なくなかった。そうした遺族は火葬の後になって初めて警察に来所し、弔慰金申請のための災害死の認定を求めて調査書を作成した(この場合、死因は不明となる)。こうした例は、現場や病院での死亡確認を警察以外の市などの行政職員が確認した場合や、開業医に死亡診断書を書いて貰った場合などが含まれる。このために死者数の発表をしている兵庫県警と、市役所の把握している数に食い違いが生じ、そのズレは1月末の時点200人にも上った。そのため県警は2月3日に再集計して発表し直した。新聞等のメディアはこの警察発表を「死者」として報道するために、震災死として発表されていなかった遺族には少なからず影響があったという[18]

2004年4月19日、神戸新聞社の調査により、震災死者数に誤りがあることが公表される[20]。これをきっかけに死者数の再調査を行うことになった[19]。しかし「個人情報は原則本人から収集」という県個人情報保護条例があったために、その例外摘要を求めて、県個人情報保護審議会で討議することとなる。そして「必要」との同審議会の答申を受け、9月、県は"10年目へ"となる年内の関連市町に対して死者の名前や死因など11項目の情報提供を正式に依頼した。しかし神戸市は「どこまで情報を提供すべきなのか、その精査に時間がかかる」として応じず、翌2005年3月25日、神戸市個人情報保護審議会でのそれを認める答申を受けてようやく調査を開始する。この再調査の中で二重計上されたり計上漏れがあったことが判明し、12月に県は「1人増」という最終結果を報告。翌2006年5月にようやく国の最終報告が「確定」した[1]

  • 関連文献

  • 『集団災害医療マニュアル 阪神・淡路大震災に学ぶ新しい集団災害への対応』吉岡敏治/田中裕/松岡哲也/中村顕,へるす出版

    死者数 - 関連死

「関連死(=震災関連死)」とは通称で、当初は医療関係者では「震災後関連疾病死者」などと呼ばれており、これはこの震災で新しく生まれた概念である[15]。消防庁による定義及び名称は「災害発生後疾病により死亡した者の内、その疾病の発生原因や疾病を著しく悪化させた事について、災害と相当の因果関係があるとして関係市町で災害による死者とした者」[19]。他にも「2次的震災死」「認定震災死」「認定死」などの呼称例がある。

厚生省(当時)は、直接的な死因以外にも震災との因果関係が専門家によって認められば災害弔慰金を支給するとの方針を出した。これを受けて被災自治体はそれぞれ医師、弁護士などで構成される災害弔慰金給付審査委員会を設けて判断を行った。この「災害弔慰金追加認定」の数が、いわゆる震災関連死者として計上された。行政で使われることがあるという「認定死」との呼び方は、ここに由来する。[11]

追加認定は家族からの申請が原則。したがって弔慰金を受け取る身寄りのない関連疾病死者は審査対象ではなく、震災と「相当の因果関係がある」と推測されても、統計上の関連死には含まれない。だが認定者の中でも災害弔慰金を受け取る遺族がいなかった例も多かったという[直接死568人/関連死7人][12]

この認定には前例も指針もなく、判定基準は関係市町間での統一も難しく個々の市町で相対的に判断された。だがその基準や審査課程、内容は全て非公開で、その後の災害被災自治体の問い合わせにも応じていない。

このような審査委員会の決定は恣意的とも言え、その後認定を巡っての裁判も起こされた。例えば神戸市の災害弔慰金給付審査認定率は65.6%である(神戸市災害対策本部,1995年11月13日)。

以前は消防庁の公式発表でも死者の内訳として直接死/関連死者数を公表していたが、現在の確定報では公表されていない。神戸新聞社による専門家の精査を通した独自集計によると、直接死・関連死の区分9人分が消防庁公表数と一致しなかった[12]。2005年12月の県による再調査では計上漏れと二重計上が訂正されたが、この区分修正までは行われていない。当サイトでは公表されている兵庫県分のみを参考値として掲載する。

またこれとは別に「震災遠因死」とされる事例もある。これは被災後の環境変化などの影響で後に病気や事故で亡くなったが、行政の弔慰金審査に認定されなかったり、またその手続きを行えなかったために公的には震災死としての認定されていない方のことを総称したもので、これも初めて用いられた言葉と概念である。この遠因による遺族たちが、神戸市内での犠牲者慰霊施設「慰霊と復興のモニュメント」(東遊園地内)の中に銘板を加えて欲しいと希望する。これに応え、2003年12月より神戸市外の犠牲者や遠因死も含めて「心が癒されるのであれば」として受け入れた。現在は「遠因死」の方の銘板も数十名が加わり、現在モニュメントに名前が刻まれた人は全てを合わせて「4,905人」となっている。(2010年12月19日 神戸新聞)。

こうした例の他にも、同様に関連死に含まれない仮設住宅や復興住宅の孤独死者も震災の犠牲者であるとする見方もある。こうした慰霊施設を希望する遺族もいない独居死者はこの慰霊施設の中にも入れないが、こうした例も概念的には遠因死と言えるだろう。

  • 問い合わせ元

  • 自治省消防庁震災対策指導室(1998/02)[19]

    行方不明

裁判所で失踪宣告が出され、民事上は死者とされている。

    負傷者数

2000年12月、兵庫県は被害状況について大幅に修正した。負傷者はそれまで病院や消防の情報に基づいていたが、兵庫県災害援護金の申請段階で診断書の内容を変更する例が少なくなかった為、この援護金申請書類による集計に切り替えた。

    震災障碍者(震災障害者)

震災が原因の負傷で障害を負った被災者のこと。以前より障害を持っていた被災者はここには含まない。兵庫県・神戸市合同調査チームによる定義は、「平成7年1月17日震災当日において、家屋の倒壊等により外傷を負い、それが直接の原因となって身体障害を生じ身体障害者手帳の取得に至ったもの」[23]。負傷者のうち重度の障害が残った者には災害弔慰金法に基づき見舞金が支給されたが、その要件は厳しく震災での支給者はわずか「64人」にとどまっていた。これまで行政側は「障害の原因が何であろうと、公的な支援策は同じです」(2004年8月8日 神戸新聞)、「障害を負った場合、ほかの原因の障害と同様、優遇制度の対象になる。震災障害者を区別する必要はない」(2010年8月23日 日本経済新聞夕刊)などとして、国や県、市町による実態把握や支援などは全く行われず、すべては民間ボランティアによる支援活動にとどまっていた。

神戸市は2009年になり初めて本格的な調査を行い、12月に結果を発表した。そして年が明けて震災15年となる2010年1月17日、矢田立郎神戸市長が震災障害者と初めて懇談。今後の調査と支援を約束した。一方、兵庫県でも復興フォローアップ委員会の中間報告の中で「実態把握が必要ではないか」との指摘を受け、調査の検討を始める。そして県と神戸市は2010年8月に合同調査チームを立ち上げ、学識・NPO等専門家のアドバイスを得ながら調査を開始。これにより、震災障害者が328人いることが判明した。

この328人(神戸市調査対象者183人と兵庫県調査対象者145人)の内、連絡の付く人に対して調査を開始し、アンケート票を送付したり直接訪問を行った。[23]。そして2010年末、この中間集計を発表した。

これについて調査に関わった震災障害者等調査アドバイザーは、

震災でなければ普通に救急車で運ばれたのに、病院で治療を受けるまで時間がかかって重症化した人が多いのが震災障害者の特徴。

との印象を語った[24]。これを受けて井戸敏三兵庫県知事は、今後の課題として「住宅耐震化」や「防災福祉コミュニティ」の再確認の必要性に加えて次の点を挙げる(2011年1月5日 朝日新聞)。

身体障害者手帳の申請に至るまでの期間が長い人もいる。情報不足が原因だとすると、どう情報提供していけばいいのかということが課題ではないかと思う。

一方で知事は、すでに震災障害者となった人たちへの支援策には否定的な見方を示した(2011年1月12日 毎日新聞大阪本社兵庫版)。

こういう課題を地域防災計画に位置づけることはあり得るが、障害の原因で救済策が異なるとはなりにくいので、震災障害者向けの救済策を盛り込むことは現時点では難しい。

これまで支援活動を行ってきたNPO法人「よろず相談室」の牧秀一理事長は、この中間集計について「実際の震災障害者は2,000人以上」だとの見方を示した(2010年9月6日 朝日新聞大阪本社兵庫版)。それは今回の調査は「兵庫県内」で障害者手帳を取得した「身体障害者」約32万人中、申請時の書類に理由として「震災」などと記載されている数のみを集計したものに過ぎないからだという。つまり上記にあてはまらない「県外被災者」や身体障害者以外の「精神障害者」「知的障害者」、そして申請書類などに特に震災だと明記していない人たちが調査対象から漏れており、合わせると相当数に上るのではというのが現場の実感で、今回判明した数も「氷山の一角だろう」という[26]。牧理事長は、自身も研究員として参加する「2011復興・減災フォーラム」(関西学院大学災害復興制度研究所主催/2011年1月8日開催)の「震災障害者法制度研究会」の報告でも、

調査対象に入っていない障害者も多い。実数をきちんと把握し、本人や家族が生活の悩みなどを相談できる行政の窓口を設けることが必要だ。

と指摘した(2011年1月9日 朝日新聞大阪本社)。

毎日新聞の取材によると、県と神戸市が把握した以外にも新たに35人が判明し、全国で少なくとも363人いるということが判った。(2011年1月16日 毎日新聞)。

最初の神戸市の調査が明らかになった後の2010年、国会において中井洽防災相は国による調査・支援を行うことを表明。同年12月24日に閣議決定された「平成23年度予算政府案」では、震災障害者への支援を検討する費用が計上された[25]

兵庫県は2011年5月10日の復興フォローアップ委員会において、震災が直接的な原因の精神・知的障害者が21人いたことを発表した。すでに判明している身体の障害者(328人)と合わせて、震災障害者は計349人となった。[27]

    倒壊家屋閉じこめ者数

東濃地震科学研究所による神戸市内分の推定値[3]。神戸市の震度分布から建物被害を推計し、そこから人的被害、地震直後の建物閉じこめ者数を算出した。

この約22万人という推定値は、神戸市の人口の約15%にもあたる。これまでは一般的には2万人くらいだろうと思われていた中でのこの数字は、仮に神戸市分に阪神や淡路を含む被災地全体分で推計すれば30万人近くに上ると思われる。同論文によると「北淡町での調査結果では閉じこめられた人の割合19%となっていることから、この推定結果は実際の値に近い値を示しているものと思われる」という。

    もし日中に起きていたら?

この地震は都市が活動を始める前に発生した。早朝とはいっても日の出までまだ2時間以上もあり真っ暗闇だった。街中に人がおらず鉄道も始発前で、テレビの生放送も1局のみであった。これが例えば12時間遅かった午後5時46分に発生したと過程した場合には、1万人以上という一桁多い犠牲者が出ていたとの予測ができるという。

日中であれば交通機関、電車や地下鉄、新幹線といった鉄道も営業運行されておりこれらの乗降客数だけでも数十万人、国道や高速道路の通行量も数千台に上る。実際には阪神高速や新幹線の高架橋を始め、阪急伊丹駅、三宮駅などのターミナル駅ビルや地下鉄大開駅が倒壊した。この高速道路や鉄道施設への甚大な被害を鑑みると、今回人的被害が鉄道では無く高速道路でも少なかったことは、単なる"偶然"でしかなかった。企業や学校や商店の入るオフィスビルやデパートも各地で倒壊し、道にははがれ落ちた外壁やガラス片が散乱した。当時の阪神地区では揺れでガスの元栓が自動的に締まるシステムを採用していなかったために、家庭や飲食店でのガス使用に伴い火災発生がより多かっただろうとのことである。

  • 関連新聞記事

  • [1995/01/21]地震発生が5時46分だったら…倒壊の高架上に車400台/夕刻の雑踏にガラスの雨/電車に最大50-60万人 渋滞道路に逃げ場なく 地下街のパニック心配(讀賣新聞大阪本社朝刊)[16]

     応急仮設住宅孤独死者数

"孤独死"とは通称で、「仮設住宅における独居死亡者数」(兵庫県警)のこと[13]。「発見時点で仮設住宅建物内で単独で死亡(変死)」していた警察扱いの例を各報道機関が集計した。

しかし例えば実際に多くあった仮設団地敷地内でも屋外での凍死者の事例や、衰弱して発見され病院で死亡などの例は含まれていない[14]。これらを含めた大学の研究者による独自の集計・分析による数は、これよりも更に1割ほど多いという報告(神戸大学医学部上野易弘助教授の調査「253人」)がある[15][18]。ちなみにこれらの数は、災害弔慰金給付審査の対象には原則として含まれないため、震災関連死者としては認められない。行政による追悼式でも名簿からは外されている[17]

  • 取材問い合わせ元

  • 兵庫県警察本部広報課(1998年2月時点、電話問合せ)[13]
  • 神戸市市民局仮設担当生活再建本部(1998年2月時点、電話問合せ)[14]
  • 応急仮設住宅 - 内閣府『阪神・淡路大震災教訓情報資料集』[18]
  • 関連新聞記事

  • [2012/08/27]震災孤独死 心砕く 仮設に診療所…額田さんお別れ会に300人(讀賣新聞大阪本社兵庫版)
  • [2006/01/30]峯本教授、震災後の孤独死検証(朝日新聞大阪本社兵庫版)
  • [2004/09/05]取材ノートから 死にたいまでの孤独感があった(神戸新聞)
  • [2000/08/05]阪神大震災「孤独死」が昨年4月から43人(毎日新聞)
  • [1998/03/28]「仮設」で孤独死200人に 兵庫 震災4年目独居1万4000人 目立つ肝臓疾患 自殺も急増傾向(朝日新聞東京本社朝刊)[15]
  • [1998/01/16]名簿に載らない犠牲者たち 孤独死190人 追悼式も対象外(朝日新聞東京本社夕刊)[17]

    災害公営復興住宅孤独死者数

独居死亡者数のうち災害公営復興住宅において発見された者。警察や行政の統計上では「変死者」として検視されたものから、一人暮らしの入居者についての死亡状況を各報道機関が調査・集計したもの。

「独居死は95年3月、尼崎市内の仮設住宅で63歳の男性が病死から2日後に発見されたのが最初」(2015/1/10 神戸新聞)だという。

これらはマスコミの独自集計のため、「仮設から復興住宅への転居が進んだ1998、99年は復興住宅での独居死者数のデータがないため、総数はもっと多い可能性が高い」(2015/1/10 神戸新聞)。という指摘もある。

また現状(2015年)の復興住宅は、「入居総数は約2万1000世帯。6割にあたる約1万3000世帯が被災者で、残りは一般の入居者が公営住宅として利用している」(2015/1/9 毎日新聞)ということで、「近年は復興住宅に一般の居住者も住んでおり、独居死とされた人の全てが被災者とは限らない」(2015/1/10 神戸新聞)という見立てもある。

「2014年秋の神戸新聞社の取材では、復興住宅の入居者のうち被災者は約6割。借り上げ復興住宅の20年期限問題では、多くの被災者が一般公営住宅などへの転居を余儀なくされており、復興住宅と一般の住宅との差は、ますます小さくなるとみられる」(2016/1/13 神戸新聞)

    県外被災者数

「県外被災者」とは、震災後に兵庫県外に転出し自力で避難所を確保した被災者のこと。この名称のほかにも「市外・県外避難者」「転出被災者」「疎開被災者」「県外居住被災者」「市外・県外被災者」等の名称が同様の意味として使われている。このような人たちの存在や問題点について、行政には当初その認識すらも全くなかった。一方で県外に転出した人という意味において、震災後に県が全都道府県に依頼した公営住宅の空き家住宅の提供に応募した件数の全国「6,160戸」が入居したことは判っていた。

その後、行政はようやくその存在と対応の必要性に気づき概要を探った。当初国勢調査をベースに住民基本台帳などから推計する。しかし住民票の届け出をせず転出入した人も少なくなかったため、電気や水道の契約戸数をもとに試算した(兵庫県,1995年10月)。人口動態からの自然増減を加味しても6万〜10万人辺りか? という推計もあったが、その後も本格的な実態調査は行われなかった。

行政は広報誌の配布や復興公営住宅申し込みを通じて、県外被災者の名簿をいくらか把握したが、その名簿をボランティアは利用できなかったために効果的な支援もなかなか進まなかった。それでも各地に散らばる県外被災者を支援しようと、その先々で支援ボランティアが組織された(下記参照)。

1996年12月、県は県外被災者が戻ってくるための支援対策事業「ふるさとひょうごカムバックプラン」を発表した。

この県外被災者の様々な問題、離散による支援の網からのすり抜けや情報の共有、コミュニケーションの不足などの構図は、2000年に起こった東京都三宅島の雄山噴火に伴う全島避難の時、図らずもそのまま繰り返されることとなった。避難島民は都内各所の都営住宅に分散して避難生活を送ることとなり、各地で地元の支援ボランティアがサポートを行った。

  • 主な県外被災者支援ボランティア団体 

  • 街づくり支援協会(大阪府・全国)
  • 市外・県外避難者ネットワーク りんりん(ネットワーク)
  • 県外避難者支援全国ボラネット(ネットワーク)
  • 震災県外避難者京都集いの会(京都府、滋賀県、大阪府)
  • 阪神大震災子どもを助ける会(京都府、滋賀県、大阪府)
  • 被災者連絡協議会(大阪府)
  • 生活協同組合コープしが(滋賀県)
  • 震災で奈良に移った人の会 ふきのとう(奈良県)
  • ソクラテスプロジェクト(神奈川県・関東近郊)
  • 神戸YWCA東京支援会(関東近郊)
  • 震災ボランティアネットワークいとでんわ(静岡県)
  • りんりん愛知(愛知県)
  • With You あいち(愛知県)
  • おかやま阪神(岡山県)
  • 広島のじぎくの会(広島県)
  • 石手寺 愛媛県内被災者の会(愛媛県)
  • ひまわり会(香川県)
  • りんりん福岡(福岡県)
  • 結〜ふくおか〜(福岡県近郊)
  • りんりん会鹿児島(鹿児島県)

    震災孤児・震災遺児

震災によって親を亡くした子どもたちのこと。震災後、従来から病気や災害などの遺児支援をするあしなが育英会がローラー調査を行い判明した[21]

遺児支援のためには遺児の把握が必要だったが、震災直後の当時、行政や学校は調査する態勢には無かったため同会で調査を行うことを決めた。1995年2月10日より全国から集まった職員や病気・災害遺児大学生ら881人が中心となって「震災遺児捜しローラー調査」を開始。報道発表の名簿より1,718世帯を抽出して訪問調査し、3月16日に記者発表を行った。推計では641人だったが、実際には震災遺児504人を確認。その後判明したものを含めると、現在は573人と発表されている[22]

2010年8月6日に記者発表された兵庫県・神戸市合同調査チーム「震災障害者及び震災遺児の実態調査」において、県教委が支給する「阪神・淡路大震災遺児等育英会資金」の受給者から算出した震災遺児数(兵庫県内)は「419人 」と発表された[23]

  • 震災遺児の内訳 (95年3月発表時の570人中) 

  • 両親を亡くした孤児 : 110人
  • 父親を亡くした遺児 : 215人
  • 母親を亡くした遺児 : 245人
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