阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

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「歌声、"小学校は門脇!"」

text by  森反章夫(東京経済大学教授)

2012.7.2  up
証言集学校篇『3月11日を生きて〜石巻・門脇小・人びと・ことば〜』スクリーン・ショット
『3月11日を生きて〜石巻・門脇小・人びと・ことば〜』より
©2012 映画「宮城からの報告」製作委員会

津波、それは被災者にとっては未知のゾーンである。津波は感得される。「空圧・感圧」をからだが感じる。「くらいグレーの壁」が迫ってくるように見える。未経験の事態が起こっている、と、わかる。経験していないことが迫る。たしかに、「津波」は知ってはいる。だが、眼前の事態に、どのような状態に自分が追いやられていくのか、想定することもできない。地震があれば津波が来る、そのことは確かに認知しているが、「津波が来る」という事態がどういうものなのか、それは、わかっていない。まして、自分が「津波の圏内」に追いやられることなど想像もできない。だが、津波に襲われること、その直感が、こどもたちのメッセージに鮮明に示されている。

「津波の経験」が、この映像には、鮮明に示されている。いかなる意味でも、防災教育のための映画ではない。むしろ、防災教育が向かうべき子供たちの叡知の映像である。津波は、ひとり、ひとりに、襲いかかってくる。その渦中で、「防災教育」の知識がかろうじて、襲われないように「避難」指示を繰り返しているというわけである。ほんとうは、「津波に襲われる可能性の圏内」に入りそうな時に、どう逃げていくのか、どうかわしていくのかという判断こそが、間断なく、震える児童に問われている。この究極とも思える間断ない判断のために、まさに、「かわす方法」が命(いのち)に組み込まれているかのようだ。

証言集学校篇『3月11日を生きて〜石巻・門脇小・人びと・ことば〜』スクリーン・ショット
『3月11日を生きて〜石巻・門脇小・人びと・ことば〜』より
©2012 映画「宮城からの報告」製作委員会

学校が避難所となっていること、そのことが津波災害の場合は、まさに、ネガティブな結果をもたらしかねない。学校が津波に襲われる場合、学校からの退避の決定が重要になる。門脇(かどのわき)小学校では児童の退避が始まるころ、学校に周辺住民が避難してくる。その避難住民を捌くために教員が3名、「残置」を強いられる。あらたな「未知のゾーン」に入っている。学校の判断によって全校児童を高台にむかって避難させていたから、避難してきた住民をどう誘導するか、という問題が混乱を引き起こす。残置した3名の教員は、避難してきた周辺住民とともに、生死の境界に晒されることになる。学校の管理責任として、教頭が、住民に断固たる指示をだし、かろうじて、生還しえている。まさに、際どい状況判断と回避行動の発見を同時に強いられていたことが鮮明に伝わる。

問題は、「未知のゾーンに入った時点から、どう集団として退避するか」ということである。生き残れるかどうか、それは「偶然」である。しかし、その偶然の可能性をたかめるには、実に多くの背後の支援と適確な状況判断がなければならない。門脇小学校では、山側に移行できるほど近接して校舎が建設されていた。そこに渡し場を確保するために、用務員が教壇の踏み場を活用しようと提案し、それを行動に移す。その臨機応変の知恵と行動が見事だ。たしかに、汎用性のある条件ではなく、「遇有的な、特殊な」条件である。だが、たまさかの条件を活用する知恵こそが決定的な生死の分水嶺となるのだ。

37名の証言映像は、生き延びていることの想いをそれぞれに、直示する。見事である。

森反章夫 MORITAN Akio
profile  東京経済大学現代法学部教授
link  東京経済大学

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