阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

  1. Home
  2. 活動団体
  3. 映画 HOME
  4. 撮影報告〜7/19

コラム・撮影報告

石巻撮影報告
7/19

復興計画への意見交換会へ

text by 青池憲司

2011.7.19  up
石巻市 住民意見交換会 (宮城県石巻市 2011年7月20日) Photo:青池組
石巻市 住民意見交換会 (宮城県石巻市 2011年7月20日)

瓦礫はずいぶんかたづいたが

7月19日の門脇小学校です。瓦礫はずいぶんかたづきました。しかし、この風景はいつまでつづくのか? 行政(国・県・市)はほとんど黙したままでしたが、今月中旬になってやっと口を開きはじめました。住民さんは、すでに、まちの再生のイメージを積極的に語りはじめています。具体的なプランづくりもはじまっています。

そんななか、石巻市の都市基盤復興計画に関する市と住民さんの意見交換会が、50町内会を対象に17会場ではじまりました。

復興計画への意見交換会へ

わたしたちは、門脇小学校の校区にあたる門脇町と南浜町の集りを撮影しました。この地区は、建築制限区域になっていて、まちのかたちがどうなるのか、皆目メドが立っていません。

市の基盤整備課の担当者が図面を示しながら、住民さんに復興イメージや今後の計画を説明し、意見交換がありました。実際には交換というにはほどとおく、住民さんの質問に、市側が明確に回答できないという、このテの集会によく見られる場面の連続でした。

住民さんの関心は、まず、自分たちの生活と住いをどう再建するか? であり、次に、地域環境をどう復興するか、にありました。しかし、市が提出した復興案は、門脇町や南浜町など、「旧北上川河口において震災復興のシンボルとなる公園を整備する」という大雑把なイメージでした。

さまざまな声が飛び交った

住民さんから、

「市からの最初の提案が、シンボル公園をつくることか! 住宅の代替地とか、集合住宅をつくるとか、いまだに冠水している地域の下水道工事をどうするとか、もっと生活に密着した具体案は出せないのか」

との意見が多数出ました。

担当者は、「いや、これはイメージでして・・・」と濁していました。イメージということばもぞんざいに扱われるようになったものです。

住民さんは、

「漫画チックな絵(図面)を見せられただけで、意見が出せるわけがない」
「何回説明を聞いても同じことばかり。一つも進んでいない」
「大きなプランより小さなプラン」

行政さんは、

「話せる材料がそろっていないなかで意見を聞いた。一日も早く方針を示したい」

住民さんの奔放な(バラバラな)エネルギーを自律的にまとめあげていく、阪神大震災復興時の「まちづくり協議会」のような住民活動はまだ見ていません。

こどもたちと学校を撮りつつ、地域にも入っていきます。

宮城で始まった撮影のようす(宮城県石巻市・旧北上川河口 2011年7月22日)
石巻で始まった撮影のようす。(宮城県石巻市 2011年7月22日) Photo:青池組

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

青池憲司

ドキュメンタリー映画監督。震災後、親交のあった長田区の野田北部・鷹取地区に入る。"野田北部を記録する会"を組織し5年間に渡りまちと住民の再生の日々を映像で記録。
「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」(1995年〜99年,山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品)を発表、国内外で上映。2002年「日本建築学会文化賞」受賞。

WEBサイト

bottom