阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

青池 憲司 監督作品 映画『宮城からの報告—こども・学校・地域』製作委員会

  1. Home
  2. 活動団体
  3. 映画 HOME
  4. 撮影報告〜11/8

コラム・撮影報告

石巻撮影報告
11/8

立冬

text & photos by 青池憲司

2011.11.8  up
阪神大震災記録映画監督 青池憲司監督 トークライブ (宮城県仙台市・右岸の羊座 2011年11月5日)
Video streaming by Ustream

立冬

いかがおすごしでしょうか。被災地石巻の立冬はおだやかな一日でした。

一之瀬、尾崎、青池の現地スタッフ3人は、11月3日に、大郷町の宿舎山楽耕から石巻市内中里のアパートに引越しました。撮影はこれから後半にかかります(来年3月撮影終了予定)。

5日に仙台の「右岸の羊座」というチャーミングなシネマカフェ(www.hitsuji.info/)で、「阪神大震災 記録映画から学ぶ」と題する催しがありました。

野田北部を記録する会が製作した、記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』第14部証言篇をメインに、神戸映画資料館の安井喜雄さんが16ミリフィルムで撮った阪神大震災直後のまちの『記録』(未編集、サイレント)、いま、石巻で撮影中のドキュメンタリー映画の予告篇『わたしはここにいます〜石巻・門脇小学校・夏』の3本を上映し、わたしは、それらの映画(16年11か月前の震災と7か月前の震災)を繋ぐ話をしました。

被災地石巻から出てきて、被災地仙台で、安井さんのフィルムによる被災地KOBEの映像を観ているうちに、きのうのごとく、ということばがうかんできました。あれ(阪神)は不意打ちの災害でしたが、これ(東日本)はくることが想定されていた災害です。にもかかわらず、犠牲者はまちにあふれました、きのうのごとく。

じつに親近感あふれる上映会を打ち上げて、仙台駅へ向い、神戸からの来訪者・石井修さんと合流。やあやあ、という間もなく、わたしの前にあらわれた人がいました。野田北部まちづくり協議会会長の浅山三郎さんです。なんと、まあ! 同行者がいることを告げられてはいましたが…

さっきまで、右岸の羊座のスクリーンのなかで浅山さんと対話していたというのに。おふたりは東日本被災地訪問の一つに、青池組激励をくわえてくださったのです。ありがとうございます。

呑めない(呑まない)浅山さんを挟んでではありましたが、おおいに呑み、語りました。この日、すばらしい仙台の昼と夜をすごしました。

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

青池憲司

ドキュメンタリー映画監督。震災後、親交のあった長田区の野田北部・鷹取地区に入る。"野田北部を記録する会"を組織し5年間に渡りまちと住民の再生の日々を映像で記録。
「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」(1995年〜99年,山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待作品)を発表、国内外で上映。2002年「日本建築学会文化賞」受賞。

WEBサイト

bottom