◉震災発レポート
御菅地区 ろうそく法要 午前の部
午前5時46分
神戸市長田区御蔵通・御蔵北公園 ◉ 2011年1月17日
Text & Photos by kin
2011.1 up
早朝5時
地元自治会の方々が集まり、準備を始めた。慰霊の碑の中にもろうそくが並べられ、その様相は荘厳かつ幻想的である。
今年も曹洞宗や臨済宗ほか宗派の異なる12名もの僧侶の方々が、全国各地から手弁当で駆けつけた。
焼香
午前5時46分を迎え、参列一堂で黙祷を捧げる。読経が始まると、祭壇には焼香の列が続いた。
やはり多くの僧侶がこれだけ集まると、厚く重なり響く読経からは迫力と荘厳さが滲み出てくる。それを生み出す見事なチームワークについて後に僧侶の方に伺ったところによると、こうして宗派の異なる僧侶が各地から何名も集って読経する場合は、内の一人が読経をリードしていくのだという。例えば焼香する列の長さを鑑みながら、鐘を鳴らしたりするのを合図にしてお経を繰り返していく。また焼香が長く続くとお経にしてもどの宗派でも唱えられる「般若心経」ばかりになるので、他にもある共通のお経を探りながら、一人がお経の頭の言葉を強く唱えて「次ぎはこのお経でいくぞ」とリードしていくそうだ。
僧侶の方々にとってもこうして宗派入り交じっての場面もそう多く経験するわけではない。全国各地からその朝に集まるため事前の打ち合わせもそう長くはできず、どうしてもぶつけ本番での試行錯誤をしながらの貴重な務めになるという。だがそうした探りながらだという法要時の内実の姿は、当然ながら参列者には全く気づかせない。一糸乱れぬその祈りは荘厳そのものである。
犠牲者を慈しむ
焼香の列が途絶えた後、導師の藤井師が地区で亡くなった犠牲者120余名の方々全員の名前を読み上げる。最後は藤井師による簡単な法話があり慰霊祭が締めくくられた。
今後の法要は
十七回忌の今年は、焼香の列が例年よりも短かったようにも感じた。つまり参列者が少し減ったのではないかと。しかし人によってはいつもと同じくらいの参列者があったとの感想もあり、仮に増減があったとしても微細なものだったのかもしれない。ただ話を聞くと、この地域を離れて住んでいる方々の中には様々な理由もあり、朝のこの時間に来ることができなかった人々も少なくなかったようだ。
導師を勤めた藤井師を中心として震災の翌年から行われてきた数名での祈りの場は、震災復興区画整理によって生み出された公園と慰霊碑の完成に伴い、より多くの人が集えるろうそく法要と変遷してきた。すでに地域を離れた人も多く、遺族の高齢化も進んでいる。こうした地域内での慰霊に参加することもなかなか難しくなっているようだ。一方で新たに地域に移り住んできた人々の中には、被災経験のない人も多い。
慰霊の法要は朝に引き続いて、夕方の5時46分にも行われた。朝に読経された僧侶のほとんどは地元に帰られたが、夕方にはまた新しく10名近くもの僧侶の方々が駆けつけた。この夕方の法要には、早朝には参列出来なかった遺族の方々も参列。式の終了後には、震災後に生まれた近所の小学生たちが訪れて祈っていたという。慰霊とともに記憶の継承が行われていた。
自治会の方々によるボランティアの手に頼らない早朝の慰霊祭は、今年で最後にしたいという話も聞こえてくる。たくさんの灯りが煌めく荘厳な式典ではあるが、こうしてたくさんのろうそくを準備していくのも簡単ではない。今後は少しずつ簡素化しての祈りの場に変遷していくのかもしれない。ただ朝の法要の後に藤井師も語っていたが、今後慰霊の形がいかに変わっていこうともこうした場は続いていく。続けていくことで犠牲者の方も人々の中で生き続ける。
◉データ
阪神・淡路大震災 ろうそく法要 午前の部
開催日:2011年1月17日 5:46
場所:御蔵北公園(神戸市長田区御蔵通五丁目)
- [2011/01/17]1.17ろうそく法要(17回忌) - まち・コミブログ