◉震災発レポート
防災の教育はさらに進んでいく
東京都港区・建築会館ホール ◉ 2006年2月18日
2006年度 防災教育チャレンジプラン中間発表
Photos by kin
2011.1 up
防災教育チャレンジプランとは?
これは文字通り、「防災教育」にチャレンジするプランのことである。国や防災、教育関係者などの各種専門家が後押ししているプロジェクトで、各地域で取り組んでいる防災教育や震災学習の様々な方法を提案し、それを共有していこうというものだ。いま防災教育に取り組んで主体は学校だけではない。自治会などの地域やNPOなど様々である。一昔前の防災教育というのは、ただ揺れが起きたら机の下に隠れて収まったら整列して校庭に避難する、といった画一的な防災訓練がほとんどであった。しかしそれが変わってきたのは、阪神・淡路大震災以降からではないだろうか。今回の各団体からの防災教育チャレンジプラン中間報告を聞いていて、そこから浮かび上がってきた課題や役に立った知恵などを踏まえて防災教育がより実際的に進化しているとの感想を持ったのだった。
震災は忘れたころにやってくる。
最も関心を持ったのが、「災害はいつどこで起きるかわからない」というごく当たり前のことを再確認したことだった。思えば「揺れが起きたら机の下に隠れて〜」云々というこれまでのものは、大正11年に起こった関東大震災の教訓によるものだった。正午近くだったこともあり、多くが昼食の準備をしていたためにその火が燃え移り、大規模な火災に見舞われた。自然と「地震はお昼で火の元注意」だけが意識の内にたたき込まれてはいなかったか。
阪神・淡路大震災を起こした地震が発生したのは、まだ人々が就寝していた早朝で都市は活動を始めていなかった。そのために多くの被災者が建物や家具の下敷きとなった。また現在の都市ガスは大きな揺れを感知すると自動的に元栓が閉められる。例え調理中であっても、火を止めやけどのリスクを負うよりも、まずは身の安全を考えることが求められるのだ。火は揺れが落ち着いてから止めればいい。そうなるとやはり現在の防災は、建物の耐震や家具の固定からということが基本となる。
また災害に直面するのは学校や職場、また家には限らない。外に出かけている時や電車に乗っている時に遭遇するかもしれない。ある団体のものは、そうしたことを想定したプランもあった。
被災後を考える
また大阪の中学校のプランは、防災ではなく「被災後」の提案であった。つまり学校に地域住民が避難してきた場合、どのように学校の施設や資源を有効活用するかというものである。いかに避難所としてのスペースを設け、また児童生徒の学習の場を確保するかといった問題は、これまでどの学校もが苦悩した問題であり、それをリアルに想定した事前訓練なども行われてこなかった。何十年も前の関東大震災の教訓よりも、数年前の阪神・淡路大震災の教訓のほうが記憶にも新しく「リアル」なのだ。
教訓を伝えていく
こうした阪神・淡路大震災の教訓を伝えていく「語り部」の存在も重要だ。しかし大変な想いをした人だからこそ、悲惨な経験を思い出したくはないのは当たり前のことだろう。でもそうした生の声で経験者が伝えていく伝播力は、知らない者からすると貴重で得難いものだ。神戸市長田区から参加するまち・コミュニケーションの報告は、被災地に震災学習で訪れる児童生徒向けの語り部さんの養成の実際についてであったが、そうした苦労も垣間見えるものであった。
◉データ
防災教育チャレンジプラン
開催日:2006年2月18日
場所:建築会館ホール(東京都港区)
主催:防災教育チャレンジプラン
- 「阪神淡路大震災1.17のつどい」の開催について - 協働と参画のプラットホーム(神戸市市民参画推進局参画推進部地域力強化推進課)