◉のぶレポート
震災から1年半 淡路レポート
〜被災地・淡路で、コミュニティの力を探る〜
兵庫県北淡町/津名町・淡路島 ◉ 1996年5月27日
Text by 吉田のぶ
2011.2 up
神戸とは違う、被災地・淡路の姿
5月末、愛車に乗り日頃活動している神戸から淡路島に向かった。名目は観光。日中は数少ない淡路島内の観光名所を観て回った。しかし目的は、もう一つあった。兵庫県南部地震の震源地であり、被災地である淡路島。この淡路の現状を好奇心から見てきたかった。
テレビ等のニュースでは、阪神・淡路大震災の話を聞くことが少なくなり、増して淡路となるとほとんど聞くことがない。しかし地震の爪跡は、まだまだ残っている。
島内あちらこちらで、神社の鳥居が倒れていたり、民家の壁が崩れているのも一宮町(島の中央・西側に位置する)で見かけた。津名町(中央・東側)で住宅街に迷い込んだときは、不自然な空き地が目に付いた。国道沿いにも、多くの仮設住宅が存在している。
神戸ほどでないにしろ、目で見る限りでも<爪跡>は、残されている。しかし神戸で活動していると、つくづく感じさせられることだが、目に見える<爪跡>より人々の心に残る傷の方が大きく、深刻である。そこで幾つかの町役場や、ボランティアの取りまとめなどで深く震災に関わっている、社会福祉協議会に話を聞きに行くことにした。
淡路の仮設には、震災前の「ご近所づきあい」が息づく
どこの町に行っても聞くのが「元々のご近所さん同士でまとまって、仮設住宅に引っ越しているので、何十年と続いているコミュニティが守られている」という事。独り暮らしのお年寄りでも特に寂しがることはなく、いままで通りの「ご近所づきあい」をしている。
これは、行政にとっても町民の状況が把握しやすいので、対応しやすくもなるので、一石二鳥以上の効果がある。
津名町で聞いた話では、元々住んでいた地区にいまでも深く関わり、住民票を移さない人がほとんど(仮設住宅に住民票を移しているのは、20件程度)で、そこの町内会長さんが、地理的には離れたところで暮らしているが、町の広報紙を配っていたりと、今でも元々の自治会の中で生活を続けている。逆に仮設住宅の中で、新しい自治会を作ろうとはしていない。なぜなら仮設住宅の中で、新たに自治会を作っても、自治会のまとめ役になると思われる比較的若い人たちの方が、早くに仮設住宅から出て行くことになって、世話人がいなくなっていき、存続が難しいと考えられるから。
神戸では「まち」はもちろん「区」もバラバラに、仮設住宅に入居しているので、まわりに住む人たちは、当然初めて会う人ばかり。行政さえも仮設住宅に住む住民が「元々何区に住んでいたか?」などの割合を把握できていない。何より独り暮らしのお年寄りの孤独感をどう癒すかが、社協やボランティアにとっての大きな課題となっている。
そして仮設住宅の中で、自治会を作り新たなコミュニティを築くことを目指している。仮設住宅の中でふれあいセンター(プレハブ造りの集会所のような建物)を建てるなどの行政の支援もあるが、自治会費が支給されるものの、住民任せなので使い道に困る自治会もあり、センターに集まる顔ぶれは同じ人ばかりであったりするので、何より支援の必要とする「部屋の中にこもりがちのお年寄り」などには効果がない。
地元のボランティアなどは、ふれあい喫茶(センター内の喫茶店)イベントなどで同じ住宅内の住民が顔を合わせる機会を増やすなどの支援をしているが課題は多い。
神戸も今からでも仮設の住み替えはできないか?
繰り返しになるが、今回、淡路の震災後の状況を聴き、強く感じたのが、今神戸で、多くのボランティアが関わり、重要な問題となっている「心のケア」の問題が、淡路ではコミュニティを守ることでほとんど回避されているという事。
確かに当時の状況から考えると、淡路と同じ対応をするのは不可能だったであろう。だからといってこのままでよいのだろうか。
先日、姫路の仮設住宅に住んでる方がこんなことを言っていた。
今からでも(仮設住宅から仮設住宅に引っ越しして)10世帯・20世帯だけでも元長田区民・元兵庫区民といった形で集まることはできないだろうか。
たとえ少しであっても、状況が改善されるのであれば、意味があるのではないだろうか。この件については、この先行われる「仮設住宅の統廃合」のなかで、実行されるかもしれない。しかし、また新たな自治会づくりを繰り返すといったリスクは生じると考えられるが……。
また、淡路での対応が神戸・阪神地域では「理想論」「(神戸では)無理」と言われてしまうだろうか、今度、都市型大地震が起きたとしても、また、同じ事を繰り返すしかないのだろうか。素人考えだが、地域ごとの住民リストを作るなどをして、コミュニティを守る対策などはたてられないのだろうか。
震災が提示した問題点。コミュニティ作りが重要に
ただ、行政だけがいくら努力したとしても、不可能であろう。それどころか、下町のように深い近所付き合いをしている所なら良いが、都会にありがちの、ご近所に住む人の顔を知らないようでは、いざと言うときに、コミュニティを守ろうにも守りようがない。長田区内のある自治会長の方とこんな話をしたことがある。
今(専門知識を持たない人が)ボランティアをするのに「震災」にこだわるのであれば、神戸で活動するよりも、今後、起こるかもしれない地元で自治会の働きを活発にするなどのコミュニティ作りをした方が意味があるかもしれません。
また一宮町の社協の人も「どうせボランティアやるんだったら、地元でやりなさいよ!」と、同じようなことを言った。
事実、震災が起こるまでもなく、東京では「孤独死」が問題になっている。「この度の阪神・淡路大震災は私たちに数々の問題提示をしてきた」と、多くのメディアが報じているが、大切なのは「問題を認識すること」ではなく「その問題をどう改善していくか」ではないだろうか。
[了]
◉初出誌
『学級日記』第3号(自主発行,1996年11月2日)掲載を再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。