青池憲司コラム
ホーチミン・シティ—バンコク—鷹取(9)
神戸市長田区 ◉ 2005年11月26日
FMわぃわぃ開局10周年記念イベント
text by 青池憲司
2005.12.1 up
コラム上では、まだ鷹取へかえりつかないのに、またヴェトナムへいってしまった。11月中旬のハノイ行である。これについては稿をあらためる。ハノイからもどって、おなじ月の26日〜27日と神戸へいった。FMわぃわぃ開局10周年を祝っての記念イベントに招かれてのことである。FMわぃわぃ開局10周年は、正確には来年の1月17日なのだが、そのころは震災メモリアルの行事でなにかといそがしいので前倒しで開いたとのこと。それで、でかけていったら、本人はちょくちょくくるのに、コラムはなかなか鷹取へかえってこないなあ、と野田北部の連中にいわれてしまった。だから、というわけでもあるが、「ホーチミン・シティ —バンコク—鷹取」は、この回をもって結着としたい。
【編注】:「阪神大震災ドキュメンタリーヴィデオコレクション」
連載『わが忘れなば 第10回ホーチミン・シティ-バンコク-鷹取(1)』
[2005.06.10]〜を参照
FMわぃわぃ開局10周年記念イベントは、「多文化な市民メディア交流のつどい多様なマイノリティによる表現活動の10年」という大看板のもとに賑々しく開催された。26日の第1部は、まず、「多文化・多言語コミュニティ放送局FMわぃわぃの10年と未来」と題する基調報告を、わぃわぃ代表の日比野純一さんがおこなった。FMわぃわぃ10年の歴史を新撮と既存の映像をコラージュして編集した映像報告と、日比野さんのことばによる問題提起はともに見応え聞き応えがあった。既存の映像は、わたしたち野田北部を記録する会が制作した作品群と、FMわぃわぃの源流となったFMヨボセヨの放送開始時(震災直後)のヴィデオ映像で構成されていたが、後者はさいきん見つかったものだそうで貴重な映像であった。
同日午後は、ドイツ・韓国・日本の市民メディアシンポジウム「市民放送と多文化共生」がおこなわれ、夜は交流会で多文化な酒と料理(長田のそばめしもでてきた)と会話をたのしんだ。ドイツからきた、ドイツ・オープン・チャンネル協議会議長のユルゲン・リンケさんとほんのちょっぴりブレヒトの話をしたり、明日、わたしがコーディネートするパネル・ディスカッションのパネリストの萱野志朗さんと二風谷の話をしたり、おなじく宗田勝也さんとカンボジア難民の話をしたりして、カメ入り紹興酒とマッコリをのんだ。酒がかわれば話題もかわる。ものごとすべからく「多」なるのがよい。
のち会場をでて野田北部へ向い、森下酒店の立ち飲みでせっちゃん(野田北ふるさとネット事務局長の河合節二さん)や、わたしも顔なじみのかれの呑み仲間たちと会う。ここではビールと目刺で世間話をしているうちに、せっちゃんから来年の企画話がでる。まだ外に発信できる状態ではないのでここに詳しくはかけないが、阪神大震災震災の返り初年以降(11年目以降)にふさわしい企画である、と出し惜しみをしておく。
さて、イベントの2日目である。第2部の午前は、「マイノリティが発信するメディアオン・ステージ」と題して、各地で多様な活動を展開している団体とグループの報告があった。京都三条ラジオカフェ(京都)、OurPlanet-TV(東京)、FMピパウシ(北海道二風谷)、反差別国際運動IMADR(グアテマラ)、Re:C(神戸鷹取)、FMわぃわぃ(神戸鷹取)の6活動体である。(このイベント全体の正式なレポートが後日出るであろうから、どのセクションで何が話されどんなことが議論されたかついてここではいちいち記さないが)、わたしは、これらの報告を見聞して、終始圧倒される思いであった。マイノリティが発信するメディアを考えるとき、なにより大事なのは、「場」を創造し維持し継続することである。そして、それを可能にしつづけるためにたたかうことである。そのことをつよく印象づけられた。
第2部の午後は、パネル・ディスカッション「マイノリティの発信と市民メディア」で、わたしがコーディネーターと進行役をつとめた。パネリストは、月1回1時間アイヌ語と日本語で放送をしているFMピパウシ編成局長の萱野志朗さん、OurPlanet-TVに依拠して、短編ドキュメンタリー『みんな、空でつながっている〜イラク拘束事件・今井紀明君に出会って〜』をつくった橋爪明日香さん、京都三条ラジオカフェから番組『難民ナウ!』を発信している宗田勝也さん、FMわぃわぃのパーソナリティ朴明子さんの4人で、いずれも個性的で斬新さあふれる活動をしている人たちである。これらの人たちと意見をかわして見えてきたことは、個人のオリジナリティや集団のオリジナリティはもちろん大切だが、自立した市民が共同してつくる時代のオリジナリティこそが重要であり、それをうみだしていくのが市民メディアの力である、ということであった。と同時に、インターコミュニティで人びとや集団は繋がっていくのだ、という実感をますますつよくした。市民メディアは国家や体制のハードルを越えて自律的に連帯する。
第3部は「オルタナティブ・ミュージックの宴」。MCナムのラップ、朴元のチャング、OKIの樺太アイヌの伝統弦楽器トンコリ、趙博のソリとまさに多文化な交流のクロージングにふさわしいザッツ・エンターテインメントであった。わたしはMCナムと朴元を聴いて中座せざるをえなかったが、ここではMCナムについてかいておきたい。
MCナムは、両親が難民として日本に渡ってきた在日ヴェトナム人の2世。日本語とヴェトナム語のラップでアイデンティティを表現する18歳。とはいうものの、日本語のほうが得意で、幼いころ家でつかっていたヴェトナム語は忘れかけてしまって勉強中だという。かれは、母親からヴェトナム脱出行の話をききそれを歌にした。母親は、わたしも親しくしている、NGOべトナム in KOBEのハ・ティ・タン・ガさんである。ラップの一節で、ナムは、「小さな小舟に男、女、子ども47人周りを見渡せば同じような舟が多数数々合図もなしにあわてて舟を出すパパとママの舟は逃げ出したその3日後横に通った黒船"服を脱げ手を振れ"止まった大きな貨物船生き残った!すごくない?」とうたう。かれはいま、周囲からCDを出すことを勧められているが、歌をもっとグレード・アップしたいと、なかなかウンといわないのだそうだ。期待して待つ。
[了]
◉初出誌
「阪神大震災ドキュメンタリーヴィデオコレクション─野田北部を記録する会WEBサイト」サイト内
「連載コラム『わが忘れなば』第22回」2005年12月1日掲載を再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。