阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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◉震災発レポート

震災を知らなかった女子高校生が、
1枚の写真と向き合った。

横浜市・横浜情報文化センター ◉ 2010年03月24日
阪神淡路大震災 写真調べ学習プロジェクト

text by kin

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写真調べ学習プロジェクト (横浜市・情文プラザ) 2010年3月24日)
阪神淡路大震災[写真調べ学習]プロジェクト パネル展(横浜市・情文プラザ) 2010年3月24日
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これまで知らなかったのだが、「調べ学習」というコトバは今の教育界の中ではすでに定着した固有名詞のようである。これは要するに教科書に拠らず自ら調査や取材して学んでいく学習手法のことで、夏休みの自由研究のようなイメージが近いだろうか。昨年から全国の中高大学生たちによって、そんな調べ学習プロジェクト「阪神淡路大震災 写真調べ学習プロジェクト」が行われてきた。阪神・淡路大震災の報道写真を素材に、調査・研究をするプロジェクトである。

その成果発表は、昨年末に淡路の断層記念館で行われたことをきっかけに、1月には灘区の神戸学生青年センターで、3月から5月には中央区の人と防災未来センターで催されてきた。内容が興味深かったこともあり灘での開催時に行きたいと思っていたのだが、その時はタイミングが合わず見逃してしまっていた。しかしこの度横浜で東日本で初めてとなる展示発表が行われるということを知り、この機会に赴くことにした。

関東大震災復興の場所で

会場のある横浜情報文化センターは、神奈川県庁の交差点を挟んだ向かいにあった。元々は関東大震災の復興記念として建てられた「商工奨励館」という歴史的建造物だったという。それ改築する際に、その洋風な文明開化のイメージの外観そのままを残しながら建設したそうで、館内の内装にもそのモダンな雰囲気は感じられる。上階には日本新聞博物館や放送ライブラリーといったメディア関連の専門博物館が入っており、メディア・リテラシー度が高められそうなこの環境というのは全国的にも面白い。そんなビルの1階ロビーが会場となっていた。

会場では、すでに何名かの見学者がじっと見入っている。展示されているのは、新聞・通信の各社やテレビ局が撮影した写真や映像の一コマと、その一枚を撮影した人とその被写体となった人物へのインタビューである。こうした珍しい展示構成は一般の写真展とは最も異なる点で、なかなか見られないような興味深く面白い展示だ。

まず最初に一通り観てまわったときに感じた素直な第一印象は、「何となくの違和感」というようなものだった。そこにある写真は全てリアルなのだけれど、なぜかリアルには感じなかったのだ。その違和感は何からくるものなのかと考えていると、元になったこれらの写真・映像の全てが報道機関によるものだったということに気がついた。「報道」だからどれもが客観的であり俯瞰的で、それが被災地や被災者のリアルと一定の距離感を保持しているように思えたのだ。報道写真というのは、そのフレームの中で物語を完結させ説明できるように映像を切り取る。ここにあった写真も、そんなマスメディアの役割を意識した構図のものばかりで、組み写真ではなく1枚だけで独立した意味のある、メッセージ性の高いはっきりした写真ばかりが並んでいた。つまり写真だけ見ていると、これは「報道写真展」なのだった。

報道写真と向き合う

それは別の見方をすれば、カメラマンは外に伝えるため、または記録するためにプロ意識を後ろ盾に、努めて冷静に現場に立った姿の結果なのだろう。しかし逆にそこに隔たった一定の距離感というのは、被災地や被災者の発したい情報とのズレを生む場合もある。これらは被災者のための情報ではなく、外に向けて発信するための情報であるからだ。ここで私が感じた違和感というのは、決して報道写真に対しての悪い意味合いではない。ただこうした報道写真だけの集合というのはどうしてもそうした性格を帯びるものであり、写真からもカメラマンの個性が薄れ無機質なものにも感じられる。

しかしこのプロジェクトの面白いところは、そうした個性を消して無機質で客観に徹して撮影した各社所属の報道カメラマンたちに、撮影当時の様子を"逆"取材していったことだろう。学生たちは、それぞれの写真を報道各社に問い合わせて十数年前にそれを撮影した当の本人たちを捜し出し、じっくりと話を聞いていく。すると当時とは部署や所属が変わっていた人も多かったが、それでもどのカメラマンも一様に、何千枚とシャッターを切ったであろう中のその一コマを撮影したときの様子を実に細かく記憶していたのだ。

そうしたパネルに記された調査レポートを読んでいると、報道写真の中に消していた撮影者の「個」の想いが、そこからじわりと浮かび上がってくるようだった。説明的な報道写真であるが故に、時間やコマ数も限られる中で無意味なシャッターは切っていない。フレーム内の意味を意識して仕事するが故に、ほんのちょっとのきっかけで当時の記憶が甦るのだろう。そうした中にあった被写体との距離感の背景からは、プロ意識と複雑な感情が混ざり合ったものが透かし見えてくるようだった。

経験を伝えたいというカメラマンの「使命感」

こうした報道カメラマンからの興味深いインタビューを引き出すことができたのは、それが学生たちだったからという点もポイントとしてあったのかもしれない。プロジェクトに参加した高校、大学生たちは震災当時2歳〜5歳であり、リアルタイムでは震災の記憶はほとんどないらしい。教科書で学ぶという点では関東大震災や第二次世界大戦などとも同列の出来事で、そこにリアル感はない。そうした学生たちと対峙した時、カメラマンたちにもこうした経験を伝えておきたいという「使命感」のようなものが自然と生まれてきたのかもしれない。これはこうした調べ学習ならではの成果だろう。

もう一つこのプロジェクトの特徴と言えるのが、その写真に映っている被写体の方へインタビューをしている点だ。当初は報道各社の中にも、写真の中の被写体となった人たちについての細かい情報や現在の連絡先までの記録はなかった。そこで学生たちは、カメラマンの話を聞いていく中で撮影場所や組織などを探り、手がかりとしていったという。そうしてすくい上げたわずかな断片情報から現地調査も交え、ついには被写体となった本人たちへとつながったという。そうした取材力はたいしたものだととても感心した。そんな苦労の末に聴き取ったインタビューからは、写真からだけではわからなかった新たな発見もたくさんあった。

例えば笑顔で登校する何名もの女子高生たちを遠くから撮影した写真がある。何とか出会うことができたその被写体となった女性たちに話を訊くと、そもそもこのインタビューを受けるまでその時に撮影されていたことすら気がついていなかったと判明する。しかしその写真を見せられると、次第に当時の様子を思い出していく。避難生活の中で久々の登校だったこともあり笑顔も出ていたが、その写真を撮られた後、学校で同級生の死を知ったという。また焼け跡で遺骨か遺品を探していると思われた写真の女性に当時の話を訊いてみると、それは自身の500円玉貯金を探していた姿だった。レッテルを貼っていたイメージの背景に、リアルが浮かび上がってきた。

きっかけは「人ごとではないと思った」こと

会場の展示時間が終わる間際、参加校の一つでもあり、この横浜でのパネル展を主管する神奈川県立横浜緑ヶ丘高校の先生と生徒さんに話を訊くことができた。なぜか女子生徒ばかりだったその中の一人が、撤収作業の中で手を止めて応えてくれた。向こうからすれば、どうしてこのパネル展を見に来たのかを知りたがったようだが、こちらからすれば逆で、訊きたいことがたくさんあった。一番は、なぜ当時わずか2歳で震災の記憶も当然なく、かつ被災地からも遠く離れている横浜の高校生たちが、ここまで震災のことについて取り組もうと思ったのか? ということだった。

確かに震災についての記憶は全くない。阪神・淡路大震災については教科書で勉強したくらいで、関東大震災があった次の大きな地震という感じで学んだ。一つのきっかけは社会の授業の中で、今回のプロジェクトの発案者であるNHKアナウンサーの住田功一氏の活動を知っていた先生がこのプロジェクトへの参加を呼びかけていたこと。これに参加してみようと思った。関東にも今後大きな震災が起こるかもしれないし、そうした意味では人ごとではないなと思った。

話を訊いていて感じたのが、もともと社会情勢やニュースに興味がありメディア・リテラシーも高く、行動力もある子たちだったということだった。ちょっと話してみただけで、自らの高校時代を顧みてもああ敵わないなと思ってしまう。そんな子たちが全国で動けば、このような企画が成立するのだ。おそらく協力した被災者やカメラマンのみなさんも、同じことを感じていたことだろう。

そしてそのきっかけを与えた先生にもお話を伺う。なぜ横浜の先生が、こうした震災のプロジェクトへの参加を呼びかけたのか。

当然、社会科の教師であるということもあるが、昔大阪に住んでいたこともあり、親戚の中にも倒壊した阪神高速の近くに住んでいた人もいた。幸い親戚や知人に被災した人はいなかったが、そうした土地勘があったということもあり、震災やこのプロジェクトについては興味を持っていた。

話してみると長田区役所や御蔵小学校、菅原通周辺といった地域にも赴いたこともあり、周辺の事情にも詳しいようだった。こうして繊細にアンテナを張っていた先生が身近にいたことも大きな要因だろう。なにしろ関西以外で、静岡以北でプロジェクトに参加しているのは、この横浜緑ヶ丘高校だけなのだ。

このやり方があったか

2010年、この震災15年関連の催しの中で数多くの写真を見る機会に接した。そこで見た「震災写真」からは、それぞれの背景から意味合いから全てが一点一点異なるということを再発見させられることとなったが、今回の写真展もまた「このやり方があったか」と教えられた発見だった。それが首都圏で行われたことにも大きな意義を覚えたが、できれば都内でより多くの目に触れて欲しいもの である。

改めて写真で伝えることができるものと、写真だけでは伝えることができないもの、その二つを一緒に考る機会となった。この展示は調べ学習の発表だったが、見るものにとってはメディア論や写真論を突きつけられるような、メディア・リテラシーを考える材料にもなっただろう。

今後この成果はWEBサイトでも発表され、来春には出版される予定だという。さらなる広がりを期待したい。

[了]

◉データ
阪神淡路大震災[写真調べ学習]プロジェクト パネル展
開催日:2010年3月20-24日
場所:横浜情報文化センター「情文プラザ」
  (神奈川県横浜市中区日本大通)
主催:神奈川県立横浜ヶ丘高等学校
後援:社団法人日本新聞協会、日本新聞博物館
WEB:僕たちの阪神大震災ノート 公式サイト/震災写真[調べ学習]
       プロジェクト
       http://home.kobe-u.com/sinsai/
ぼうさい甲子園:横浜緑ケ丘高を表彰「神戸に来て刺激受けた」
      /神奈川(2011/01/10 毎日新聞東京本社神奈川版)
ぼうさい甲子園:奨励賞に横浜緑ケ丘高 阪神大震災の写真調べ学習
      /神奈川 関東から参加(2010/12/17 毎日新聞東京本社神奈川版)
#文中の名称・データ等は初出当時の情況に基づいています。

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会場となった横浜情報文化センターは、関東大震災復興記念として建てられた「商工奨励館」である。
会場となった横浜情報文化センターは、関東大震災復興記念として建てられた「商工奨励館」である。
写真調べ学習プロジェクト(横浜市・情文プラザ)2010年3月24日
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(横浜市・情文プラザ)
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