◉震災発レポート
校庭に浮かび上がる灯りと
響き渡る歌声
神戸市長田区・市立御蔵小学校 ◉ 2010年1月17日
1.17神戸に灯りを in みくら
text by kin
2011.1 up
高速長田駅のほど近くにある神戸市立御蔵小学校に来るのは、もしかしたら13年ぶりかもしれない。最初に訪れた時からだと実に15年ぶりになるだろうか。校門を入ろうとしたとき突然そんなことを思い出し、少しばかり感慨にふけてしまった。
震災後に歩んだ御蔵小のあしあと
神戸市長田区の東側に位置する御蔵通・菅原通地区は古い文化住宅や商店街、鉄工所などが密集した地域であった。そこを震災が襲い多くの建物が倒壊する。さらに菅原商店街から火の手が上がり大規模に延焼し、一晩中燃え続けた。結果、御菅両地区全体では128名もの方々が犠牲となった。
御蔵小の目前まで火の手も迫ったが類焼までには至らず、校舎にも大規模な被害は少なかったという。しかし校内には一時は1,600人ほどもの周辺住民が避難し、幾度もマスコミに登場するメジャーな避難所となった。最終的に避難所が解消されたのは翌1996年2月のことであった。
私がここを最初に訪れたのは、付近をボランティアで活動していた当時の1995年2月のことである。校門前の神戸新聞販売所の1階は潰れており、新聞はその店先に束のまま配達され、誰もが自由に持ち帰ることができた。教室や体育館は住民で埋まり、校庭は校舎に入れなかった被災者がテントや車を運び入れて、テント村を形成していた。隅のほうには自衛隊による大きな仮設風呂も設置されていた。
戻った住民で三回忌追悼式を挙行
その2年後の1997年1月15日、この体育館において地域の犠牲者を弔う「阪神淡路大震災御菅地区犠牲者三回忌追悼式」が挙行された。この式典には実行委員会のボランティアとして参加することとなる。当時は震災復興区画整理の網に掛かったこの地域は更地が多く、依然として街の未来は見えない状況だった。会場には遺族の他、市外や県外に移住したり遠方の仮設住宅での不自由な生活を余儀なくされていた、かつての住民の方々が久しぶりに街に集い式典に参列した。追悼と共に久々の再開に明るい会話の弾んでいた光景が、とても印象として残っている。今回はその13年前の三回忌追悼式以来の御蔵小であった。
5年ぶりの追悼行事
夕方学校に着いた頃には、校庭にはすでに大勢の人が集まっており、字の形に並べられたろうそくもほぼ灯されていた。この同時刻、区内だけでも数ヶ所でこうしたろうそくを灯す追悼行事が行われているが、御蔵小で行われるのは実に5年ぶりのことらしい。参加するのは初めてである。これまで行われていたこと自体を知らなかったことと、すぐ近所の別の追悼式に参加していたという理由もあった。今回はたまたま長田区役所で情報を得たので、訪れることができた。
私も長いろうそくを受け取り、たまに消えているろうそくを見つけては火を灯してみる。数百名ほどは集まっていた参加者の割合は、大人と子どもで半々くらいだろうか。児童や親御さんだけではなく、近所に住む方も多かったようだ。とにかく寒いが特に風もないため、冷たい空気の中でろうそくも綺麗な灯りを輝かせている。
校内には震災教育の成果が
灯火用のろうそくを受付に戻し、電灯が点けられていた校舎内に入ってみる。1階の廊下には「御菅東地区のまちの移り変わり」というタイトルで模造紙にまとめられた、校内発表が展示されていた。学校区であり震災復興区画整理地区でもある「御菅東地区」を、地図と写真で年ごとに定点観測調査したものである。震災の年は数ヶ月ごとに、それ以降は1年ごとに街の建物の建つ様子を観察していた。こうしたことが続けられていた事を初めて知り、とても感嘆し安心した。小学校というのは、早くから震災を知らない子ばかりになっているからである。
児童が代替わりしても、こうした復興調査を脈々と受け継いでいるというのは、被災地の学校としての義務感、或は責任感であろうか。児童がこれを行う意味合いとしては震災教育ということもあるのだろうが、次々に入ってくる後輩への"記憶のリレー"でもあるだろう。これを見るだけでもここでは震災教育がきちんと行われ、語り継がれているということがよくわかる。代々の先生たちの努力に敬意を表したい。
校庭に浮かび上がる灯り
ろうそくで形づくられた全体を見ようと屋上に上がった。一応、屋上は危険なため大人だけが入れるようになっている。柵などもなく暗いのでこちらも気をつけなければならない。ろうそくの入ったペットボトルの集積度が高く、きれいにレタリングされた文字が灯りで縁取られ煌煌と輝いていた。離れて眺める分には、ペットボトルは東遊園地などで使われる竹筒の灯りよりも光を透過するために、より美しく周りを照らす。
もうすぐ追悼の時間になるとの案内放送があり、参加者がろうそくを取り囲んだ。そして迎えた午後5時46分、全員で黙祷を捧げた。
響き渡る"しあわせ運べるように"
黙祷が終わると先生の号令の下、児童たちが全員で集まってろうそくを取り巻いた。そして"しあわせ運べるように"の合唱が始まった。この歌は、神戸の小学生なら誰もが唄える震災のことを唄った定番の曲である。作詞作曲したのは音楽教諭の臼井真氏だ。震災時には別の学校に勤務していたが、その後この御蔵小にも赴任したことがあった。その意味では直伝されたという伝統もあるだろう。被害が多大であったこの校区においてこの歌がこの学校で歌われることは、より深い"意味"を包含してくる。
ろうそくを前に響き渡るその歌声は寒い夕空の中に浸透していき、聴いていると本当に涙が出てくる。まさにこの地この場所この時に、この児童たちによって唄われるべき歌であった。
小学生が参加できるように早朝ではなく夕方に開かれたこの行事は、学校で行われるが校内行事ではなく地域の実行委員会主催。小学校を始め区の震災資料室や周辺地域の協力で運営され、地域住民や一般も参加することができる。
[了]
NIPPON CROWN CO,.LTD.(CR)(M) (2008-04-23)
鮮烈なパフォーマンス
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
1.17神戸に灯りを in みくら
開催日:2010年1月17日
場所:神戸市立御蔵小学校(長田区一番町)
主催:「1.17神戸に灯りを」in みくら実行委員会
- 動画共有サイトYouTubeへの公開映像より
(しあわせ運べるように2010-神戸下町ブログさん)