◉のぶレポート
新潟県中越大震災被災地をみつめて
〜現状とボランティア活動報告〜 ❶
新潟県小千谷市 ◉ 2005年5月14日
Text & Photos by 吉田のぶ
初出『月刊まち・コミ』
2011.1 up
2004年10月23日、午後5時56分。
信濃川が山の間を縫うように走り、わずかな平野部に街や水田が広がる。山々には棚田や養鯉池が水面を輝かせて、山あいの集落は日本の原風景と呼ぶのにふさわしい。
新潟県中越地震の被災地には、こうした風土や気象、生活などが特徴的に映し出されている。自然災害は千差万別、それぞれの状況に配慮する必要性を強く教えられた。
小千谷市塩谷地区
塩谷地区は新潟県小千谷市の北東に位置する山間部の集落で、山古志村(現長岡市)、堀之内町(現魚沼市)、川口町に接している。国道291号から塩谷トンネルを通り、通常なら小千谷駅近辺から車で10分あまりというがこのルートは通行できない。川口町の武道窪から木沢に抜ける迂回路で20分から25分ほどかかる。他にもいくつか道はあるが、どの道も地震による崩壊及び仮復旧後の積雪による再崩落などで通行できない状態が続いている。現在も村全体に避難勧告が出されていて、通行できる唯一の道も夕方には閉鎖している。一般車は終日前面通行止めだ。
2005年5月14日におよそ100名の特別編成されたボランティアチームの一員として、住民と共に塩谷に入った。この日の塩谷には倒壊後手付かずの状態の建物が多数在った。地震から7ヶ月が経とうとしている被災地の現実に触れて、胸が苦しくなった。なぜ被災直後の状態がこれまで残されているのか。
地震直後は全ての道が寸断されて、住民はヘリコプターによる避難をしている。避難勧告や指示が出されて被災後の後片付けはおろか生活道具の搬出もままならない日々が続いた。養鯉業などの自営業者には仕事場までもが取り上げられた状態になる。
2004年11月中旬ごろから天気の良い日の日中に限り住民の立ち入りが許されたが、限られた時間の中で貴重品などの限られたものから持ち出すことになる。この時期になると雪囲いなどの越冬準備が必要となり、場合によっては復旧作業より優先された。
昨年は雪の降り出す時期が遅く、12月にも作業が出来たようだが、間もなく雪に閉ざされ、4ヶ月間以上は復旧作業などが出来ない状態が続いた。
先に5月に入村した時点で"被災直後の状態"と書いたが、実際は変化がある。地震の被害を受けながらも自立していた建物も積雪によって倒壊している。この冬は19年ぶりの豪雪と言われたが、立ち入り禁止処置によって住民も村に入ることがなかなか許可されなかったことが被害を拡大したと考えられる。家屋の屋根に積もった雪を取り除く雪下ろしを目的に立ち入りを何度も役所に訴えたと言うが、なかなか許可が出なかった。今年の豪雪に対して雪下ろし作業が有効に行われたとしても、新たな被害を防げたかどうかは定かではないが、財産を守るための規制緩和と人命の危険を回避するための規制との判断は今後の災害対策にも影を残すのではないか。
11月、12月は余震と越冬対策のために復旧作業に本腰を入れられなかったことや、12月から4月までの積雪によって復旧作業が不可能になったことなどの季節と風土の特徴的な悪条件により、中越大震災の本格的な復旧作業はこの5月から始まったばかりだ。
山道は崩落、舗装の破壊などにより交通が寸断され、山あいに点在する集落は孤立して物品や情報が数日間途絶えた所もあった。11月中旬から12月にかけての仮復旧作業で最小限の生活道路が確保されたが、その後の積雪に再び崩落したところも有るという。また、避難指示により、自分たちの村に立ち入れない場所も少なくなかった。天気の良い日の日中に限り、避難所から我が家に行って夕方また避難所に帰るという。今やっと復旧から復興への道のりに差し掛かった。
[続く]
◉初出誌
『月刊まち・コミ』号外(阪神・淡路大震災まち支援グループ まち・コミュニケーション発行 2005年7月1日)掲載を再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。