◉震災発レポート
島原を往く ❸
◎ 雲仙普賢岳噴火災害
災害記念館の虚しさ
長崎県島原市 ◉ 2009年1月20日
雲仙岳災害記念館
text by kin
2011.1 up
再び農道を行く。
ここから雲仙岳災害記念館へ移動するにも、公共交通機関では自由には移動できない。水無川を渡って、さらに海の方に歩いていくことにした。高架道路である島原深江道路、通称「がまだすロード」をくぐる。これも噴火後に作られた4.6kmほどの道路で、土石流などの被災時でも通行路を確保するためのものだという。この辺り一帯は火砕流や土石流で長らく立ち入り禁止区域となっていた為、半島を一周する道が分断されていた。土石流が海にまで達したことを考えると、この交通路の重要性は緊急時には増してくるだろう。
周囲には、さらに農地が広がっていた。その傍らに碑があり「宮中献穀田」とある。その御影石に刻まれた裏の碑文によると、これは被災地に見舞いに訪れた天皇皇后両陛下に復興の報告をするために、地元の各種官民が協力して奉耕した記念の碑のようだった。無事に献上できたのだろうか。こんな畑の中にも、災害モニュメントが何気なくあるのだ。
農道の先に「島原復興アリーナ」が見えた。これはその名の通り、復興公共事業として建てられた巨大な体育館と広大なグラウンドからなる施設である。正直、地方によくある公共事業創出のための無駄なハコモノの典型のようにも見え、この地域の規模とは釣り合いの取れないくらいの立派過ぎる施設のようである。
道を挟んだところに「雲仙岳災害記念館」が見えた。道の駅からは25分くらい歩いただろうか。ここも外観はモダンで要塞のような巨大な施設である。駐車場もとても広く、敷地入り口からなかなか建物までたどり着かないほどだ。
雲仙岳災害記念館へ
災害記念館の入場料は、1,000円もした。ちょっと高い感じもするが、利用できる割引券があったので800円で入ることができた。入場前に総合案内所にあったバス時刻表を確認する。すると数少ない本数のバスに乗るには、あと40分ほどしか残り時間がなかった。しかもそのバス停までは広い駐車場を横切り、ここから10分ほども歩かなければならないので、実質30分ほどしかない。
入場すると、まず係員の女性から概説があった。シアターの上映があるとのことで、その時間までは館内の展示を観て待つことにする。するとまた別の係員から解説があった。
そこは館内フロアを貫くように床の一部が透明になっており、焦げた木の枝が覗いている。幅1メートル、長さ40メートルくらいだろうか。その透明な空間の端から赤い光が素早く走っていく。目の前の踏切を電車が通過する感覚だろうか。説明によると、この光が動く速さが火砕流のスピードを再現しているという。時速100キロを超える速さで、車でも逃げられないという恐ろしさを体感することができる。
館内の他の展示も観て回る。さすがに金を掛けているだけあって、砂防みらい館にあったようなパネル展示だけではないが、内容的にはそれを少しパワーアップした程度だろうか。平成の噴火以前の有史以来の火山の歴史、特に江戸時代の大噴火で崩壊し、それによって生まれた大津波が有明海の向かいに位置する熊本を襲ったという「島原大変肥後迷惑」のことにも焦点を当てている。
再び入り口のほうまで戻ると、火砕流によって焼き尽くされた風景を再現したブースがあった。当時の現場写真を背景にして、実際に残された電柱や電話ボックスや車輌などが配置されている。さながら実物大のジオラマのようであるが、再現とは言ってもそこには"本物"があるのだ。
豪華なフルCG再現映像は必要か?
「平成大噴火シアター」の上映時間が来た。時間は約8分だという。客は私を含めて3人ほど。中に入ると映画館のような丸いスクリーンがあり、階段状になった立ち見の客席に立った。内容はフルCGによって普賢岳の噴火活動の前兆から噴火、そして火砕流や土石流の様子を再現したもので、疑似体験できる。映像に合わせて、まるで遊園地のアトラクションのように床が振動して傾き、また手すりの穴から熱風が噴出してくる。しかし疑似体験といっても、そのカメラの視点は住民目線ではく、上空から見た火砕流の視点なのだ。カメラの位置は、山頂付近の溶岩ドームから海に向かって移動し、畑や街を飲み込んでいく。アトラクションの視点としては面白いが、そこに生活感はない。
確かに凄い迫力だったが、これはこのシアター専用に製作した転用もできないものだった。この設備や映像だけで数千万から億まで掛かっているのだろうとの想像も容易にできる。テーマパークではないのに、たったこれだけのことを伝えるために、なぜここまでのフルCGの映像をわざわざ創ったのだろうか。あまりに気前の良い資金の使い方ではないか。費用対効果を考えるのなら、普通にドキュメンタリー映画を撮って残したほうが良いのにと、上映中ずっと考えていた。
上映が終わってシアターを出る。凄く愉しかったが、残念な気持ちのほうが大きかった。2階にも報道関連の映像の上映やミュージアムショップなどがあったらしいが、バスの時間が迫っていたので残念ながら退館を余儀なくされた。
災害遺構の強さと災害記念館の虚しさ
全体的には火山噴火による「被災」よりも、その「自然現象」自体に焦点を当てた展示がほとんどだった。火山の凄さは伝わるが、逆に被災した人の哀しみや生活の苦しさまではなかなかわからない。避難生活や仮設住宅での生活、災害復興基金創設による復興活動の支援など、他の地域も学んだり教訓にすべき重要な事例はたくさんあると思われるが、そうした紹介はほとんど観られなかった。災害も人の営みを抜けば、ただの自然現象の一つになってしまう。
この施設には、およそ44億円もの事業費が投じられたという。正直、ここは無駄に大きく過剰に立派な施設だという印象だ。立地や展示内容の必然性、そして入場料が展示内容に見合うのか等、実際に訪れてみても疑問しか残らなかった。その反面、途中で立ち寄った「旧大野木場小学校」と「土石流被害家屋保存公園」から感じられたリアル感は、災害の恐怖や被災した人の哀しみを考えさせられた。これらの充実度と比べると残念ながら災害記念館は、ただの公共事業創出のためだけのハコモノであったと受け取られても仕方が無いだろう。
[続く]
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
普賢岳平成大噴火災害◊概略
1990年11月17日 水蒸気爆発(前回1792年噴火)
1991年5月 最初の土石流
1991年6月3日 大火砕流で43名の人的被害
1991年9月15日 火砕流で大野木場小学校焼失
1995年2月 溶岩噴出が停止
1996年5月 最後の火砕流
1996年6月3日 終息宣言
火砕流/土石流◊概略
火砕流:約9400回発生(3回の大火砕流)
土石流:約140回発生(およそ1700棟が土石流被害)
- 『1990年-1995年 雲仙普賢岳噴火災害概要』国土交通省九州地方整備局雲仙復興事務所調査課(2007年11月)
- 『雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して 被災者からの報告』特定非営利活動法人島原普賢会(2000年8月)
- 『大火砕流を越えて 普賢岳が残した十年』毎日新聞西部本社編,出島文庫(2002年6月)
- 『大災害!』鎌田慧,岩波書店(1995年4月)
- 島原市
- 火山とともに - 長崎県島原市
- 南島原市
- 国土交通省 雲仙復興事務所 大野木場砂防監視所(愛称:大野木場砂防みらい館)
- 国土交通省 九州地方整備局 雲仙復興事務所
- 国立大学法人九州大学 大学院理学研究院 附属地震火山観測研究センター(島原観測所)
- インターネット博物館 雲仙普賢岳の噴火とその背景 - 九州大学大学院理学研究院
- 道の駅 みずなし本陣
- 島原復興アリーナ
- 雲仙岳災害記念館
- 日本ジオパークネットワーク
- 島原半島ジオパーク
- 雲仙・普賢岳噴火災害〜復興の足取りと災害教訓 - 長崎県島原市:PDFファイルリンク