◉震災発レポート
三宅島を災害ボランティアの試金石に
火山ガスとリスクコミュニケーション
東京都飯田橋 ◉ 2005年2月24日
三宅島島民帰島ボランティア支援活動事前研修会
text by kin
2005.3.12 up
- 研修会には多くの人が集まっていた。(東京・飯田橋)2005年2月
写真:三宅島災害・東京ボランティア支援センター
三宅島を今後の災害ボランティアの試金石に
2000年の雄山噴火による三宅島の全島避難から4年半が経過した2005年2月、ようやく避難指示解除が出され島民の本格帰島が始まることとなった。そしてそれに合わせて三宅島災害・東京ボランティア支援センター(三宅島社協、東災ボ、東京ボランティア・市民活動センター、東京ハンディキャブ連絡会により設立=三宅島災害ボラセン)は、帰島する島民の生活再建支援を行うべく島内でのボランティア事業を行うことを決めた。そうした島民の帰島とボランティア活動が始まってから3週間あまりが経過した2月下旬、「三宅島島民帰島ボランティア支援活動事前研修会」に参加した(研修会は1月末〜3月末までの間、のべ576名が受講した)。
このボランティア事業計画には、これまでの災害ボランティア活動とは大きく異なる特徴がある。そのひとつは個人参加ボランティアを認めないという点だ。今回、三宅島で活動を行うにあたっては、必ず三宅島災害ボラセン参加各団体を通じての申し込みが必要となっている。これには様々な理由があるという。一つには現在の三宅島は依然として危険な火山ガスの噴出が続いているために安全面などで特に注意が必要なこと。また組織を通じて参加することによって、この経験が個人の枠に収まることなく組織全体の経験となり日常へと還元されて受け継がれていくようにすること。そして三宅島災害ボラセンが安全・健康面や事業内容、渡航費や滞在費などの経済面を一元的に管理、負担する等のさまざまなリスク軽減策を施すことによって、これまでボランティアの「自己責任」となっていた参加リスクをなくしてボランティア活動の敷居を低くしたい──等の狙いがあるという。
今回の事前研修会は1月下旬よりおよそ1〜2週間に1回ほどの間隔で催されているもので、三宅島災害ボラセン参加各団体を通じてのボランティアの申し込みをした人は、必ずこれを受講しなくてはならない。火山ガスの噴出し続ける島内でより安全で有意義な活動を行うために、島の現状とその安全性や健康面でのリスク、そして事業内容などについて専門スタッフからの説明と火山ガスに対して高感受性を持っていないかの健康チェックを受ける。避難指示が解除されたとはいえ、三宅島はしばらくの間は世界でも類を見ない「火山ガスとの共生」が続くことになる。そんな中での生活、そしてボランティア活動とはどのようなものになるのだろうか。
火山ガスとリスクコミュニケーション
飯田橋の会場には、百名に近い人が集まっていた。仕事帰りの背広姿の方もちらほら見受けられる。受付を済ませるとカラーの図版や写真が多く入った資料をたくさん渡された。研修会が始まると、はじめにこれまで4年半あまり続いた三宅島島民への支援活動の概説がボランティアスタッフからあった。続いて慶應義塾大学医学部の大前和幸先生による火山ガスについての話が行われた。
大前先生はこれから話す火山ガスについての話を「リスクコミュニケーション」であると説明する。耳慣れない言葉だったが、これはただ専門家が話を一方的に話すのではなくて、環境リスクに関する正確な情報をきちんと伝え、また受ける側もただ受けるのではなくて対話の中でその理解度を上げていくという主に環境分野で近年広まっている考え方のことだという。
火山ガスとは
リスクコミュニケーションが始まった。火山ガス、現在の状況、リスク、健康への影響、そして活動を行うにあたってのルールなど、ややもすると少し専門的で特殊な環境の話を我々の日常生活に照らし合わせつつ丁寧に説明をしてくれる。中でも火山ガスの成分の中で問題のある「二酸化硫黄」についてを四日市ぜんそく公害や観光地である阿蘇山噴火口での測定値と並べて進められた話は、ふだん二酸化硫黄などとは縁のない我々にとっては理解しやすく興味深いものだった。現在の三宅島は場所や風向きによって火山ガスの濃度が異なるが、その最も危険な高濃度という値がいかに異常な数値かということがよくわかった。
火山ガスの濃度が低い地区では、そのガスと共生していく形をとっていけば日常生活を送ることができる。しかしそれでも風向きなどで濃度は常に変化するのでガスマスクの携帯や避難順路の確保は必須だという。また火山ガスに対して高感受性を持つ人、例えば呼吸器系に疾病を持つ人などは疾病を誘発しやすい環境であるために、健康へのリスクは非常に高くなる。そのために高感受性を持つボランティアは入島することができないという。
最後に質疑応答となった。私も多少の疑問点がいくつかあったが、それに対する回答のほとんどはすでに『質問と回答集』という資料の中に記されていた。この資料は三宅島島民に向けてこれまで数十回と重ねられてきたこうした説明会(リスクコミュニケーション)の中からまとめられたものだそうで、例えば私の知りたかったアトピーで皮膚が弱い場合の影響についてなどまでも載っている詳細なものだった。質疑が意外に少なかったが、これは参加者に疑問点がなかったのではなくてこうした資料だけで十分だったからだろう。このような気の利いたある意味貴重な資料まで周到に準備されているところからも、三宅島災害ボラセン側の周到な準備も垣間見えた。
1時間以上にもおよんだ先生の話が終了した。参加者一同は高い緊張感を保ったまま、のめり込むようにして聴いていた。短い休憩の間に、ガスに対しての高感受性などを判断するための健康診断書アンケートを書き込んでスタッフに提出。これを研修会が終わるまでの間に大前先生がチェックするという。
現地のボランティア活動の実際
休む間もなく実際の島内で行う活動についての説明が始まった。通常のボランティア研修会であればここから始まるところだろう。引っ越しや生活環境整備、ふれあい交流などの活動内容をはじめ、渡航手続きから島内の住環境まで具体的なボランティアの動き方が説明される。一通りの話が終わったあと、我々より一足早い2月上旬頃に活動を行ってきたボランティアの方からの話があった。まだ向こうでの体制も十分整っていない中で試行錯誤されてこられたということで、その経験と教訓を次に行く人たちに伝えたいということだった。
その方自身はこれまでも新潟での水害や震災支援として現地で活動してこられた災害ボランティア経験者の方だったが、そうした場を踏んでいる人にとってもそれぞれの被災地の現場ごとに事情は異なるということで、今回の場合でも派遣先での柔軟な判断が要求されたという。熱く語られたことばの端々から次の人が同じ苦労をしないようにという気持ちが伝わってきた。それだけ向こうで悩みながらやってきたのだろうということも容易に想像できた。
厚く堆積した降灰の除灰は相当大変だが雨でしめると剥がしやすくなる、泥の中での作業には長靴が便利といった知恵袋的な情報も参考になったが、なによりもそうした話の全体から漂う現地の空気感というものをとてもよく感じることができた。島の時間はゆったりと流れる。そんな中では作業をするばかりではなく島民の方々と話したりするコミュニケーションもとても重要だという。
この研修会に参加してた我々もそうだが、特に災害ボランティアに参加する人たちはそれぞれが熱い想いを抱いてやってくる。それは時に冷静さを欠き視野を狭めてしまい、自分だけでなく周りの活動にも混乱を招いたりすることもある。そんな高ぶる熱いココロを胸の奥に包み込みながらも、現地では柔軟にゆったりと冷静に愉しく、そして安全に健康に活動して欲しい。なかなか簡単なことではないけれども。そして先輩ボランティアの経験を引き継いで、そして次へと継いで欲しいと思う。濃密な研修会だった。
[了]
◉初出誌
『みやけの風』第214号(三宅島災害・東京ボランティア支援センター発行,2005.3.12)
Photos:三宅島災害・東京ボランティア支援センター、白鳥孝太氏
◉データ
三宅島島民帰島ボランティア支援活動事前研修会
開催日:2005年2月24日
場所:東京都新宿区神楽河岸 セントラルプラザ
主催:三宅島災害・東京ボランティア支援センター
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
- 三宅島災害・東京ボランティア支援センター
- 三宅島児童・生徒支援センター
- 三宅島と多摩をむすぶ会
- 島魂 - (避難期間中アーカイヴ)
- 島魂
- 追跡・三宅島災害 - 東京新聞
- 三宅島帰島支援ボランティア活動とは - 連合東京
- 三宅島火山、神津島・新島地震活動情報 - 東京大学地震研究所