◉震災発コラム
満月の夕の記憶 ❹
Under The Full Moon〜満月収穫祭
東京都渋谷区 SHIBUYA-AX ◉ 2003年10月2日
平安隆 / 沢知恵
text by kin
2007.1 up
2003年秋、渋谷で「Under The Full Moon〜満月収穫祭 in the city TOKYO2003」というミニフェスティバルが開かれた。"満月の夕"をモチーフにしたもので、この曲をカヴァーしている人やその周辺にいる人たちが一堂に会すという企画である。オリジナルの作者であるソウル・フラワー・ユニオンとヒートウェイヴの他に、彼らの後輩的なGO!GO!7188とカヴァーをしている平安隆、沢知恵らが出演した。"あえて"演奏しなかったヒートウェイヴを除いて、それぞれの解釈による4曲の"満月の夕"を同じ空間で聴くことができた。ただ曲を演奏することに、これだけ「意味」があるのかと、記号論のように考えさせられた面白い解放区であった。
GO!GO!7188からスタート
オープニングアクトはGO!GO!7188である。目当てのファンが多いようで開始から盛り上がった。短いステージの最後の曲が彼女らによるカヴァーである。未音源化なので初披露だろうか。ダブル女性ヴォーカルによるパワフルなガレージロック風のヴァージョンだ。ユウが前半部を、浜田亜紀子が後半部を歌い、歌詞もソウル・フラワー版とヒートウェイヴ版をミックスさせていたようだった。
島唄の新しいスタンダートへ──平安隆
続いて登場した平安隆は、彼の発表するアルバムそのまま島唄からロック、ジャズと、多彩なジャンルを横断する構成だった。"満月"は、三線弾き語りによる島唄ヴァージョンを披露する。
もともと中川敬の三線と山口洋のギターによって作られたこの曲は、喜名昌吉&チャンプルーズのギタリストであったウチナンチュー(沖縄人)の平安隆がウチナーグチ(琉球方言)で三線弾き語りをすることによって、本物の島唄になった。この平安版は、近年では多くの沖縄曲コンピレーションにも収録され、三線の教習曲としても広く演奏されている。また崔洋一監督『豚の報い』(1999)ではエンディング曲として使用された。島唄の新しいスタンダートとして認知されてきている。
平安はこの曲を故郷の言葉で歌うことを考えた。「僕にそのまま歌うのは無理だったし、借り物でない自分の歌として、自分の言葉で書くしかなかった。なにより阪神で暮らす1世に沖縄の言葉を届けたかった」([2006/12/21]歌よ 満月の夕<中川敬・山口洋>/4 沖縄の思い添えて(毎日新聞大阪本社大阪夕刊)
ソウル・フラワーと共に被災地で出前ライヴを行った平安は、沖縄出身者の多い長田の焼け跡に太平洋戦争時の沖縄地上戦の風景をダブらせたという。
兵庫県には沢山、沖縄の人が住んでいる。その人達に僕がしてあげられる事は、歌を歌って元気づける事しか出来ない。かつて、太平洋戦争後の復興で僕の先輩方、唄者(うたしゃ)がそうして勇気を与えたようにね。沖縄も太平洋戦争後の復興で、一度無に帰して復興を遂げた様に、神戸も同じ様に手に手を取り合って、素晴らしい復興を遂げて欲しくて、オリジナルの沖縄方言で詞を作ったんだ。("満月の夕"[RESD-74]帯,2003年3月26日発売より)
彼の満月の夕は、神戸に向けて歌うのと同時に沖縄にも向けられている。
そして新生ヒートウェイヴは、今までと違い、テクノビートっぽいモダンロック調の新しい曲調で復活をアピール。新しいバンド編成でニューアルバムも発表する前ということで、前述の通り"満月"を演らなかった。ただの天の邪鬼だっただけかもしれないが。
被災地を思い出し、言葉が出なかった──沢知恵
この日、沢知恵はピアノ弾き語りによって静かに"満月の夕"を歌い上げ、会場を感動の渦に巻き込んだ。しかしこれまでに沢のCDを聴いたことがある人は、この演奏を聴いて驚かされていた。なぜならばCDに収録されているヴァージョンは、ほとんど全編がピアノのみのインストゥルメンタルの演奏であったにも関わらず、この日の演奏は初めから歌詞(ヒートウェイヴ版)を全て一緒に歌っていたからだった。沢は詞を歌ったことの変化について、MCで次のように話した。
この曲を演ってみようと思ったとき、かつて知人を訪ねて阪神の被災地に立って見た時の光景を思い出してしまった。それがショックでことばが出てこない。歌詞も「〽言葉にいったいなんの意味がある」の部分しか歌うことができなかった。しかしコンサートでは演奏する際にはいつも、リズムを取るために歌詞の入った譜面を前に置いてピアノを弾いていた。
そんな時、9.11同時多発テロの直後に行われた最初のコンサートで、不思議と自然に最初から歌詞を全部歌って演奏"してしまって"いた。そんな無意識の内に歌えてしまった自分に、"自分自身"が驚いてしまった。
歌詞についての心境の変化について、別の言葉でも説明している。
歌が歌わせてくれなかった。あの光景が言葉を抑え込んだのでは。(歌よ 満月の夕<中川敬・山口洋>/3 祈ることはできる(毎日新聞大阪本社大阪夕刊[2006/12/20])
9・11のあと、あふれるようにしてことばが出てきました。("死んだ男の残したものは/満月の夕"(CMCA-3)ブックレット,2003年7月23日発売より)
沢は次のように話した。「これを歌うそれぞれの人の中に、それぞれの"満月の夕"があるのだと思う」と。同時多発テロ以後も、アフガン侵攻、イラク戦争と怒りの連鎖が続いた。またトルコやイラン、メキシコ、台湾などでも大きな地震が相次いだ。「この歌は阪神・淡路大震災をきっかけに生まれたけれど、そこには世界中の戦地や災害被災地に通じる普遍性がある」。
焼け跡から一筋の希望を求めて立ち上がろうとするすべての人のための祈りのうただと思って、いつもうたっています。(沢知恵official site──知恵のひとこと-2005年4月3日より)
最初に中川さんの詞に出会っていたら、私はこの歌を歌っていなかったと思う。私は被災地の人間じゃないから。でも祈ることはできる。(毎日新聞大阪本社大阪夕刊[2006/12/20])
"祈りの歌"だという、この沢のカヴァーを作者である山口洋はこう評している。
俺はあの歌が「歌えた」と思ったことがない。技術の問題じゃなくて、ね。表現しきれたと思ったことがない。出来る訳ないんだけど。俺が出来なかったことは沢知恵さんのバージョンの中に全部ある。 (HEATWAVE"1995" ROCK'N ROLL DIARY 2005/1/8より)
それぞれが"満月の夕"の中に、自分の中の記憶を投影させていた。自分のスタイルでプレイして消化し、新しい自分の歌として歌っていた。
【文中敬称略】
[了]
◉初出誌
当サイト内『震災文化コラム─満月の夕の記憶』(2007)を再構成。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
Under The Full Moon〜満月収穫祭 in the city TOKYO2003
開催日:2003年10月2日 開演19:00
場所:東京都渋谷区 SHIBUYA-AX
CAST:Soul Flower Union/HEATWAVE/GO!GO!7188/
平安隆/沢知恵
- [2006/12/21]歌よ 満月の夕<中川敬・山口洋>/4 沖縄の思い添えて(毎日新聞大阪本社大阪夕刊)
- [2006/12/20]歌よ 満月の夕<中川敬・山口洋>/3 祈ることはできる(毎日新聞大阪本社大阪夕刊)
- GO!GO!7188
- ヒートウェイヴ版"満月の夕"歌詞 - HEATWAVE WEBSITE
- ソウル・フラワー・ユニオン版"満月の夕"歌詞
- 満月収穫祭/ソウル・フラワー・ユニオン演奏の記録