◉震災発レポート
三宅島は今……①
離散島民が、芝浦で再会
東京都港区・芝浦小学校 ◉ 2001年4月15日
第2回 三宅島島民ふれあい集会
〜がんばろう三宅島! 笑顔で帰れる日のために〜
text by kin
2001.6.1 up
各地に離散した三宅島島民
2000年6月に始まった三宅島・雄山(813m)の火山活動が活発化するのに伴い、9月に全島避難が勧告され、全島民約3,800人が島を離れる事態となった。島民はその後、都内を中心とした全国に広く離散して避難生活を送っている。しかし島での生活に慣れた島民にとって、なかなか都会生活に馴染めるものではない。そこには数々のハードルが待ち受けている。何をするにも電車やバスを乗り継いで行かなければならない。バラバラの地域に散らばっているため、お互いのコミュニケーションも難しく連絡先もわからない。三宅村や都といった行政の情報もなかなか入ってはこない。寮生活を送る子供たちともなかなか会えない。火山活動に落ち着く気配も見られない中、島民の間に先行きの不安や問題が深まりつつある。
こうした状況の形態というのは、実は阪神・淡路大震災時における「仮設住宅や県外被災者の離散生活」の既視感かと思うほど、よく似ていた。コミュニティが大切だと解っていながら他に解決策を見いだせず、結局同じ轍を踏んでしまったのだ。しかし支援者たちに阪神・淡路大震災支援を経験している人たちが多いことは、これから起きるだろう問題やその解消方法の予測をできる点では幸いだ。
そんな中、島民と情報を一堂に集めて励まし合ったり情報交換ができる場を作ろうと「三宅島島民ふれあい集会」が開催された。場所は三宅島行きのフェリー航路もある竹芝桟橋に近い、港区の芝浦小学校である。
島民1,500人、ボランティア300人が参加
このふれあい集会の実行委員を組織しているのは、島民らでつくる「三宅島島民連絡会」と三宅島社会福祉協議会、東京災害ボランティアネットワーク、三宅島災害・東京ボランティア支援センターである。さらに三宅村や東京都のほか、さまざまな企業が協力を寄せていた。昨年末に続いての2回目の開催となる今回は、前回よりも多い1,500人もの島民と300人以上ものボランティアが参加。学校の校庭は人でいっぱいになった。
開会式が始まる。長谷川鴻三宅村長や青山佾東京都副知事のほか三宅村議会議長、港区長が出席して挨拶を行った。場内にはいろいろな食べ物が用意されており、それらは全て無料で飲食できる。支援ボランティアのグループが用意したものもあるが、中には島民有志によるものもある。
様々な専門家による生活、健康、就労、法律、ペットなどの相談コーナーがある。村役場のブースには、島内の道路や建物などを撮影したビデオを上映するテレビが設置されていた。テレビには離れた島内を地区ごとに撮影したビデオが流されている。それを心配そうに釘付けになって見ている。
校内には保育所も設けられていた。島の保育園の先生方が久しぶりに集まっている。保育士の先生方は子供たちとの再会を楽しみにしており、一人一人の名札をかわいらしく作りながら到着を待っていた。
この日、会場は三宅となった
今回も遠隔地に住む島民のためにバス16台で送迎が行われた。「"くさや"の匂いがするわあ」。バスから降りた瞬間、おばあさんたちが口々に感嘆の声を上げている。ムロアジなどを特製の汁に浸けて日乾しして作るくさやは、伊豆諸島特産の発酵食品だ。この独特の匂いが強烈で私も苦手だが、旨味も強く好きな人にはたまらない味である。島民にとっての大切なソウルフードなのである。会場で振る舞われていたのは新島から贈られたもので、都会ではここまでの強い香りのあるくさやには、なかなか出会えないのだという。郷愁を誘う郷土料理の香りは、飲食コーナーだけではなく会場周辺にまで広がっていた。
会場に入った島民たちは、知り合いの顔を見つけては手を取り合って挨拶をしている。各自の近況報告を交換しては一様に安心した表情を見せていた。その様子は私には、神戸で被災地から出て郊外の仮設住宅や県外に行かざる得なかった人たちが、祭りや慰霊法要で街に戻った際に再会を喜んでいる姿と重なって見えた。
ステージでは郷土芸能の「神着木遣太鼓」の力強い演奏が披露されていた。演じる男も女も、低い重心から激しく熱いリズムを連打する。その音圧は全身を震わせ、会場に響き渡る。取り巻く空気はそのとき、三宅島そのものになっていた。
再会の感動を写真で手元に
場内では阪神・淡路大震災の支援イベントでも行われた「ポラロイド大作戦」企画も展開された。震災支援の時のものは「顔の見えるメッセージカード」作戦という、ポラロイドで撮った自分の写真の余白にメッセージを添えて被災地に送るものだった。今回は、撮影隊が会場内を練り歩き、その場で「久々に会場で会った仲間との記念写真」を人数分撮影して手渡すというものである。なかなか会えず写真もない避難生活の中とあって、とても喜ばれていた。
村のブースでは、島の火山灰を使った「三宅ガラス」の製品が展示・販売されていた。これは「復興に役立てられたら」と都立産業技術研究所(北区)が開発したもので、青緑の透き通った色合いのガラスは、灰から生まれたとは思えないような美しさだった。この三宅ガラスの小鉢やグラスは人気商品となっていた。
[続く]
◉初出誌
『月刊まち・コミ』(2001年6月号,まち・コミュニケーション発行)掲載を加筆し再録。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。
◉データ
第2回三宅島島民ふれあい集会
〜がんばろう三宅島! 笑顔で帰れる日のために〜
開催日:2001年4月15日 10:30〜15:30
場所:東京都港区・港区立芝浦小学校
主催:三宅島島民ふれあい集会実行委員会
三宅島島民連絡会、三宅島社会福祉協議会、
東京災害ボランティアネットワーク、
三宅島災害・東京ボランティア支援センター
共催:東京都三宅島三宅村
後援:東京都、東京都港区