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◉震災発レポート

島原を往く ❷
災害遺構が物語るメッセージ

長崎県南島原市 ◉ 2009年1月20日
◎ 雲仙普賢岳噴火災害
道の駅みずなし本陣「土石流被害家屋保存公園」

text by kin

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土石流被害家屋保存公園・道の駅 みずなし本陣。長崎県南島原市深江町 2009年1月20日)
土石流被害家屋保存公園・道の駅 みずなし本陣
(長崎県南島原市深江町)2009年1月20日 [クリックで拡大]

堤を往く

20分ほどかけて坂を下ると、最初に降りたバス停に戻ってきた。往路は随分な遠回りだった。バスの時間を確認すると、駅に戻るバスも1日に6本しかない。時間が合わないので徒歩移動することにした。砂防みらい館で見た航空写真によると、水無川沿いに下っていけば道の駅まで行けそうだった。

実際に歩くルートの辺りは、一面農地で噴火災害時には火砕流や土石流に見舞われ壊滅した地域だった。復興工事では、水無川を浚渫して大きな堤を造り、農地部分は以前よりも全体をかさ上げている。海に続くゆるやかな傾斜は、地域全体がダイナミックな段々畑のような感じに見える。それぞれの農地の区画には、消火栓の配管のような形の地下水道管がそれぞれ設置されていた。何の作物用なのだろうか。

農道を下り、水無川の土手に上がる。上の太い堤防のような場所は、細長い公園のように整備されていた。復興や慰霊の碑がいくつも建っている。さらに下ると、途中で鉄道の廃線後の鉄橋に差し掛かった。踏切も鉄橋も線路が外されているが、そのまま残っている。実はこれを見て初めて島原鉄道は、島原外港駅より南側が1年前の2008年4月1日に廃止されたことに気が付いた。なぜならばこれまで見てきたWEB、観光マップやチラシ、パンフレットの類には、廃線のことなど記されていなかったからだ。廃線から9ヶ月ほども経過しているのに、案内や地図も修正されずそのままだった。

道の駅に災害遺構

国道251号線沿いに「道の駅 みずなし本陣」があった。ここは噴火災害の後に整備し、民間が運営している施設である。土石流被害家屋保存公園や火山学習館、大火砕流体験館、そば道場などが設置され、レストランやおみやげ屋なども充実するちょっとしたテーマパークのようなパーキングエリアだ。

巨大な駐車場を抜け、中に入った。振り返ると普賢岳が雄大な姿を見せている。観光としての写真の絶景スポットでもある。まず目を引いたのが、隣接する「土石流被害家屋保存公園」であった。土石流に埋もれて被災した民家を、その一帯全ての地区ごと丸まる保存した災害遺構である(一軒のみ数十mほど移設した家屋もあるようだが)。

屋根や家財道具は物語る

保存公園内に残る建物は、平屋の家は屋根だけ、そして二階建ての家は二階部分だけを地上に見せている。つまり、今歩いているこの場所は全て土石流によって流されてきた土砂であり、辺り一面が一様に、標高にして2〜3mほどもかさ上げされてしまったということだ。住民は避難していたので人的被害はなかったが、生活が全て飲み込まれてしまった。屋外に11棟、大きなテントの中に3棟が残されており、土から斜めに生えた電柱からは切れた電線が見え隠れしている。

この家々はやはり、ほとんどが農家なのであろうか。どれもがしっかりした日本家屋のようだった。屋根に立っていたテレビ受信アンテナが、倒れつつもそのまま付いていたりもする。太陽光発電用のソーラーパネルを乗せている率も結構高いが、この地域の特徴なのだろうか。いままで屋根をこんなに間近で見たことがなかった。

窓を覗くと室内にも土砂が流入しており、埋もれた家財道具がぐちゃぐちゃになって見え隠れしていた。未だに生活感が漂ってくるようだ。それがただの「廃屋の保存」とは違うのだ。わずかに見える家財道具が、まるでイタリアのポンペイのように生活していた時そのままタイムスリップしたかのように物語っていた。先に見た旧大野木場小学校もそうだったが、こうした災害遺構が物語るメッセージはとても大きい。

土産物などが並ぶ店舗区域に隣接して「大火砕流体験館」がある。窓からは、中に展示されている火砕流によって被災した軽車輌が見えた。かろうじて錆びた骨組みが残っている感じだ。

車社会であるこの地域が国道沿いの災害遺構を利用しながら道の駅として再生したことは、地域経済や災害文化の両面を両立しての活用法としては最適な解決法だと感じた。いろいろと学んだり郷土料理を食べたりして愉しめる、全国的にも稀な施設であった。

[続く]

大火砕流に消ゆ-雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫)
江川紹子
新風舎
おすすめ度の平均: 4.5
4 災害や紛争報道で、これからも繰り返される問題
5 あの時、なぜ20人は留まったのか

#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

◉データ
普賢岳平成大噴火災害◊概略
1990年11月17日 水蒸気爆発(前回1792年噴火)
1991年5月 最初の土石流
1991年6月3日 大火砕流で43名の人的被害
1991年9月15日 火砕流で大野木場小学校焼失
1995年2月 溶岩噴出が停止
1996年5月 最後の火砕流
1996年6月3日 終息宣言

火砕流/土石流◊概略
火砕流:約9400回発生(3回の大火砕流)
土石流:約140回発生(およそ1700棟が土石流被害)

◉参考文献
  • 『1990年-1995年 雲仙普賢岳噴火災害概要』国土交通省九州地方整備局雲仙復興事務所調査課(2007年11月)
  • 『雲仙・普賢岳 噴火災害を体験して 被災者からの報告』特定非営利活動法人島原普賢会(2000年8月)
  • 『大火砕流を越えて 普賢岳が残した十年』毎日新聞西部本社編,出島文庫(2002年6月)
  • 『大災害!』鎌田慧,岩波書店(1995年4月)
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Text & Photos kin

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水無川と普賢岳 2009年1月20日)
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全体がかさ上げされた段々畑のような農地 2009年1月20日)
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水無川土手の堤にある噴火災害農地再生記念之碑 2009年1月20日)
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廃線となった島原鉄道の鉄橋 2009年1月20日
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土石流被害家屋保存公園 2009年1月20日)
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火山学習館、大火砕流体験館 2009年1月20日)
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火砕流の被災車輌 2009年1月20日)
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