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◉震災発レポート

次世代へ語り継ぐ場に①
四国・今治で防災を考える

愛媛県今治市 ◉ 2006年1月15日
防災フェスティバル〜被災地に愛を〜

text by kin

2006.2  up
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防災フェスティバル 愛媛県今治市 2006年1月15日)
防災フェスティバル(愛媛県今治市 2006年1月15日)
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阪神と離れた四国・今治で防災を考える

阪神・淡路大震災から11年目を迎える2006年が明けた。節目を過ぎたからか、今年の1月は追悼式典への小泉首相をはじめとする政府代表の来神予定もない。そればかりか被災地の中でも追悼行事の取り止めや縮小を決めた自治体も相次いだ。そんな中、被災の外で催された1.17関連行事の中で最も大きかったのが、愛媛県今治市で開催された「防災フェスティバル〜被災地に愛を〜」(今治1・17実行委員会主催)だった。このイベントも前年までは「1.17KOBEに灯りを」として「1.17」の形にロウソクを並べて朝まで灯していたが、今回からは「防災フェスティバル」としてリニューアルをするという。阪神と遠く離れた四国の地で、どのようなことが行われるのだろう。

瀬戸内海に面する今治は、本州との間を島づたいに連絡する「しまなみ海道」によって広島の尾道とつながり、港には関西と結ぶ定期フェリーが入港する。タオル生地の生産量は世界最大で、街中でも関係する工場が目につく。中心部の駅からは少し離れた運動場が会場になっていた。

芸予地震や水害の被災経験から

夕方ころ会場に着いた時には、起震車体験などの朝からの防災企画はすでに終わっていたが、会場はまるで夏祭りのように客足は途切れずゆるやかに賑わっていた。企画に参加している小中高校生たちの姿が目立つが、近所の家族連れも散見できる。グラウンド脇には十数張りのテントが連なっていた。本部受付テントをのぞくと、神戸・三宮の東遊園地から運んできたという「希望の灯り」が灯されていた。被災地・神戸との絆の証しである。横には災害伝言ダイヤルを体験できるコーナーもある。

パネル展示コーナーでは、「2001年芸予地震」と「台風や集中豪雨による水害」の被災状況とその救援活動の様子が紹介されていた。芸予地震では広島の呉での被災報道が思い出されるが、このパネルによってこの今治でも建物や港湾関係などで結構な被害があったことをはじめて知った。また近年の水害はかなり被害も大きかったようで、泥にまみれた写真を見ると、その救援活動もかなりの苦労を強いられていたようだ。しかしボランティアセンターを立ち上げ、組織的に対応した様子からは、阪神で経験した教訓が確実に受け継がれていることがわかる。震災後に生まれた「愛媛レスキューサポートバイク・ネットワーク」も、実際に活動するバイクの展示とともに、救援活動で活躍する姿を紹介していた。

震災の体験談や語り部も

また阪神・淡路大震災を大学生の時に経験し、現在は県内に在住する男性によるこんな体験談も紹介されていた。

当日の早朝、愛媛からフェリーでやってくる弟を迎えるために六甲アイランドにいた。暗闇の中、港の駐車場で待機しているその時、激しい揺れに襲われた。その瞬間、目の前に駐車していたトラックが港にできた割れ目に落ち込んでいくのが見えた。着岸目前だったフェリーも大阪港へ向かって離れていった。
 とりあえず何とか家に戻ろうと車を走らせると、近所でも倒壊した建物が目についてきた。夜が明けて日が昇ると、道端では救援を待つけが人や呆然とする被災者が寝そべっているのがわかった。突然若い女性が車の前に立ちはだかってきた。それは何としてでも止める、という強い決意のある飛び出しだった。聞くと小さな弟が大きなけがを追ってしまった。病院まで運んでほしいとのことだった。そして近隣の病院は混乱しているだろうからと、少し離れた大きな病院まで運んだが、結局その判断は正しかったことがわかる。
 その後、なんだかんだで食料を買い込んで無事だった家に戻った。食事をしていると、朝会えなかった弟が大阪から歩いてやってきた。

読んでいるとしばらくパネルに釘付けになってしまう。それはこちらもドキドキしてくるような生々しい体験談だった。

語り部の読み聞かせコーナーでは、二人の女性が阪神・淡路大震災と芸予地震の体験を語っていた。阪神の体験はお二人とも直接的ではなかったが、息子が当時神戸で被災したという話やその息子の友人が体験したという話に何人もの方が真剣に耳を傾けていた。ちなみにその息子の友人というのが、パネルで体験談を紹介していた人であった。

こうした展示や体験を見ていくと、なぜこの今治で防災意識が高いのか、その一端が見えてくる。ここはもともと仕事や学校の関係で、同じ瀬戸内海の阪神地域とは関係も身近だった。また2001年の芸予地震で今治の被害も大きく、その記憶も生々しかった。そして近年大規模な水害が頻発し多大な被害を被っていた。さらには、それらの被災に対してのボランティア救援活動も地元ボラセンを中心にして組織だって行われた。こうした条件や経験が重なったことによって「防災」というテーマが、日常的な関心となっていたのだろう。

[続く]

◉データ
防災フェスティバル〜被災地に愛を〜
開催日:2006年1月15日
場所:今治市営補助球場(愛媛県今治市大新田町5丁目)
主催:今治1.17実行委員会
共催:今治市ボランティア団体連絡協議会
後援:今治市、同市教育委員会、同市社協、同市連合自治会、ほか
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

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防災フェスティバル〜被災地に愛を〜(愛媛県今治市 2006年1月15日)
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