阪神・淡路大震災で失われたモノ、残されたモノ、生まれたモノ…そんな記憶を記録します。

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◉震災発コラム

満月の夕の記憶 ❷
そこには、リアルがあった。
誕生の現場から

ソウル・フラワー・ユニオン

text by kin

2007.1  up
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南駒栄公園テント村(神戸市長田区 1995年10月22日)
"満月の夕"の原風景である南駒栄公園テント村。(神戸市長田区 1995年10月22日)
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アジール・チンドン
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
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歌の中には、被災地のリアルな空気感があった

この歌、"満月の夕"の中には被災地の"リアル"があった。例えば詞の中に出てくる「吐く息の白さが踊る」や「たき火を囲む」というフレーズ。それはその空気感が伝わるくらいの実に生々しいものだった。この曲を最初に聴いたときは、初めて被災地に入ったときのことを思い出しいくつもの情景が一瞬でフラッシュバックして蘇ってきたほどだった。

地震の起こった1月、2月の神戸という場所は、とても寒い季節であった。港町であり六甲山系の山並みを望む坂の町でもある神戸。そこは冬場、晴れた日であっても午後ともなると"六甲おろし"と呼ばれる冷たい風が山から吹き下ろし、気温が急激に下がってくる街である。公園や校庭に避難した被災者やテント村で寝泊まりするボランティアたちは、陽が沈むと寒さしのぎにたき火を前に集まり、身を寄せ合っていた。すぐ横には倒壊した建物がそのままの姿である。そうした現場では火が最も恐ろしい存在なのだったが、同時にそれは一番温く有り難いもの、そして「場」であった。こうした被災地の現場の空気感や肌触りや匂いといったものは、その場に立脚しなければなかなか感じ取ることはできないものだろう。歌詞の中に出現するフレーズとは、そうしたもののシンボルであり、オブラートの無い「リアル」そのものであった。

南駒栄公園にみた震災後の原風景

"満月の夕"の「満月」とは、地震発生日の夜の月がそうであったことに由来するというが、それと同時に共作者の一人であるソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が想い浮かべていたもう一夜の原風景は、長田で観た或る夜の光景だという。それは地震からもうすぐ1ヶ月が経とうとしていた2月14日のことだった。この日の宙にも、満月に近い月が昇っていた。

いつもにも増して冷え込んだこの夜、ソウル・フラワーの一行は被災地での3度目の演奏を行うべく、楽器をバンに詰め込み自らハンドルを握って大阪から西へと向かっていた。目指すのは神戸市長田区の南駒栄(みなみこまえい)公園である。長田港の脇に位置するこの大きな公園には、当時、倒壊や焼失から逃れてきた数百人もの近隣住民たちが大勢避難しており、大規模なテント村を形成していた。さらに加えれば、ここには長田区に多く在住するインドシナ難民の在日ベトナム人たちも多く身を寄せていた。そのため当初は国籍も言葉も異なるコミュニティが同居し混沌とした様相を呈していた。そうした避難生活からくるストレスや習慣の違い、コミュニケーションのすれ違いや誤解が原因で、ある種の騒然とした神戸を象徴するような避難所となっていたのだ。ソウル・フラワーが向かっていた2月半ばは、まだそうした混乱が落ち着く前の混沌期であった。

バンドの車は、目指していたのが神戸という不慣れな土地だったことに加え、復旧工事の交通規制も重なり渋滞にはまって区内を迷走していた。焦りも募って途中で前回の演奏場所だった長田区の新湊川公園に立ち寄り、そこに居合わせたボランティアに助けを求め、道を尋ねたりもした。そうしてなんとか到着したのは、予定時刻を大幅に経過した時点だったという。

"満月の夕"誕生の瞬間

そんな事情の中にも、冷え切った寒空の下には数十人の被災者が集まって待っていた。やがて演奏が始まり公園内に民謡や流行歌などが響き渡ると、共に口ずさんだり、泣いたり、そして笑ったりする姿が散見されたという。被災地の外ではバレンタインデーだったこの日、前述のような複雑な事情を抱えて模索が続き、避難生活も先の見えない状況で緊張が張りつめていたこの公園避難所にとっては、一瞬でも安堵の空気に包まれた何よりの心のプレゼントとなった。

当時のバンドのメンバーたちは、こうしたこの公園避難所の固有の事情までは深く知らなかっただろう。しかし中川敬がこの夜の演奏体験を心の中にしまい込んで持ち帰り、"満月の夕"創作の原風景としたことは、決して偶然ではないと思う。

それから8年後の2003年1月19日、そんな"満月の夕"の産まれたこの南駒栄公園で「ガガガSP」はフリーライヴを開催し、1万人あまりもの観客を前にして、"満月の夕"を大音量でカヴァーしたのだった。

【文中敬称略】

[続く]

満月の夕~90’s シングルズ
ソウル・フラワー・ユニオン ソウルシャリスト・エスケイプ SAMM BENNETT ドーナル・ラニー・バンド ALTAN
Sony Music Direct (2008-03-19)

◉初出誌
当サイト内『震災文化コラム─満月の夕の記憶』(2007)を再構成。
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

◉参考文献
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Text & Photos kin

震災発サイト管理人。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットが被災地で活動していた時、共働した地元ボランティア団体のスタッフとして各種イベントを手伝った。
本コラムは、その活動時を含め現場で得た情報と調査、資料等から構成している。

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南駒栄公園テント村 神戸市長田区 1995年10月22日
1995年の南駒栄公園テント村
(神戸市長田区)
1995年10月22日