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◉震災発コラム

第29回 神戸をわすれない
災害時、保育園は?

東京都世田谷区下北沢 ◉ 2016年1月30日

text by kin

2016.3.7  up
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第29回神戸をわすれない (東京都世田谷区下北沢 2016年1月)
第29回神戸をわすれない (東京都世田谷区下北沢 2016年1月)

1月末、世田谷で「神戸をわすれない」が開催されました。毎年開催されるこの催しも今年で20年、29回を数えます。

もともとは阪神・淡路大震災後の復興まちづくりを連作で記録しはじめた青池憲司監督作品の上映運動として、96年に始まったものです。上映とともに毎回神戸と関わりのある現場の人も招いてシンポジウムを開催。連作が完成した後も、地域防災や災害被災地の報告、東日本大震災後の作品上映、支援活動報告など内容を変えながら、神戸や被災地を考える場として続いてきました。

教育映画で見る、震災当時の保育園とは

今回のテーマは災害時の保育。天野珠路氏(元幼稚園教諭・保育士、日本女子体育大学准教授)が監修した教育映画『3.11 その時、保育園は』『希望をささえる 3.11その時、保育園は 続編』が上映されました。この作品は東日本大震災後の岩手、宮城、福島の被災地や横浜などの帰宅困難となった保育園を取材し、当時の対応を証言で振り返ったドキュメンタリーです。

石巻の門脇小学校の被災当時の様子を証言で振り返った『3月11日を生きて〜石巻・門脇小・人びと・ことば〜』(2012年 青池憲司監督)にも通じるものがありますが、こちらはどこか一校だけではなく、各被災地を巡りさまざまな事例を検証たものです。

こうして改めて保育園の対応だけをまとめて見ていると、大切な子供を預かっているという保育士の職業意識の高さと、法律で月一の避難訓練が義務づけられている実務的な危機管理力の高さを感じさせられます。それぞれの保育士たちは被災当日の行動を振り返っても、あくまでも特別なことではなく「普段通りに」対応した(できた)という証言します。これは保育分野に限らずともどんな仕事であっても通底する行動姿勢でしょう。

これら証言によって構成されたこの作品は、文化ドキュメンタリー映画というよりも「教育映画」に相応しい、保育士や教育者にとっての貴重で実践的な教材でした。もしかしたら精神的な部分では、業務継続計画(BCP)トレーニングにもなり得る取材だと思いました。

神戸の保育士たちの「幼児」時代の被災記憶

「続編」のほうは、その中の一部『神戸の記憶』という神戸の保育士を取材した一篇の上映です。この中で証言する20代の保育士たちはいま現場の第一線で活躍していますが、みんな幼い頃に阪神・淡路大震災を経験した被災者でした。そこで聞くのは「保育士」としてのいまの立場の話ではなく、当時の「幼児」時の被災体験です。いま幼児に気持ちを聞いてもなかなか答えは返ってこないでしょうから、これはそれを探る上でも興味深い試みです。

みんな幼いながらも、「今世間は大変なことになってる、大人は大変なことになってる」みたいな事はなんとなく理解していたようです。そのために当時は無意識にもそれを「察して」、わがままを抑えたり、我慢をしたり、気持ちを押し殺していたのだとか。

災害時の保育対策

後半は青池憲司(映画監督)ほか、猪熊弘子(ジャーナリスト)、保坂展人(世田谷区長)各氏によるトーク。猪熊氏は保育分野を専門に取材しており、世田谷区の「子ども子育て会議」の専門委員として行政への提言なども行い、東日本大震災当時は幼児を保育園に預けていた母親でもあるという、まさに専門の立ち位置からのお話でした。

保坂区長は、国会議員時代から選挙浪人の時代までもずっとこの催しに参加者としても来られています。今回は区長として、世田谷の東日本大震災被災地への取り組みや区の防災行政、子育て行政について説明しました。現在でも世田谷区からは宮城県南三陸町や気仙沼市に応援職員を派遣し続けているそうです。また区が募集した募金も被災自治体に寄付し続けています。

区の保育政策も積極的に行っており、毎年保育室などの認可外の施設を増やし受け入れ人数も増やしているそうです。しかしそれ以上に区への流入人口が多く、待機児童がなかなかに減らないとか。設置場所の建設・確保や人材確保などの問題もあり、急には保育園増設をできないという苦労も続くようです。

同席していた世田谷区の災害対策課長による、災害対策の話もありました。災害時に避難所を開設した場合、普段と同様に保育士による保育が求められるもののその人材がいない。そこで区内の大学で専門に学んでいる学生の手を借りようと協定を結んでいるところで、その数を増やしているところだそうです。

今回はテーマが「保育」ということもあり、保育士の参加者や天野さんの元で学ぶ学生も多く参加されていました。本来は「防災」はそこだけで完結するものではなく、それぞれの業界での大きな枠組みの中でさらにさまざまな専門分野の「防災」があるものなので、いろんな専門の中の防災を考えていくことは必要なことだと改めて感じました。

天野さんや「神戸をわすれない」主催者の星野弥生さんと青池監督は、『ベンポスタ・子ども共和国』(1990年)からのつながりです。ベンポスタが神戸で公演したことで映画も神戸で上映されて長田とつながり、その後被災した長田を青池監督が撮影することになりました。いまその青池組が石巻に入っているのも、『ベンポスタ』を当時上映した仲間が宮城にいて被災して導いたからです。こうしたつながりが神戸につながり、今の石巻にもつながっています。

これからも「神戸をわすれない」

参加者の方から、会の名前を「神戸をわすれない」ではなく「福島をわすれない」などに変えたらどうか? という意見が出ました。実際、今回の内容に関しても東日本大震災被災地の話題がほとんどです。しかし星野さんは「私はけっこうこの名前を気に入ってるんですよ」と、こだわりと愛着を持っていることを説明してやんわりと否定しました。

神戸をきっかけにしてはじまり、つながりが続いています。その後中越を考えたり東日本を考えたりし続けていますが、その原点はここだということの証しなのでしょう。その経験と教訓を考えていくための。20年の縁を実感しつつ、神戸を通じて、今年も東北を考える場となりました。

[了]

◉データ
第29回神戸をわすれない
「いのちをまもる・いのちをつなぐ〜東日本大震災とこどもたち」

開催日:2016年1月30日
場所:東京都世田谷区下北沢
        男女共同参画センターらぷらす11F(北沢タウンホール内)
主催:神戸をわすれない・せたがや
共催:世田谷ボランティア協会ボランティアセンター
後援:世田谷区社会福祉協議会
協力:世田谷区こどもいのちのネットワーク、市民運動・いち
内容:上映『3.11 その時、保育園は〜いのちをまもる・いのちをつなぐ』
『希望をささえる 神戸の記憶』
トーク:天野珠路(映画監修者)猪熊弘子(ジャーナリスト)青池憲司(映画監督)保坂展人(世田谷区長)
#文中に登場する名称・データ等は、初出当時の情況に基づいています。

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Text & Photos kin

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